LUZの熊野古道案内

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2012年 05月 08日

熊野の旅 観光とは…

 昔、「旅行」では無く「旅」だった時代…
 日本人は娯楽の一つとして…娯楽を兼ねて…お寺さんなどにお参りしました。
 江戸の人たちだと、「浅草浅草寺」「池上本門寺」「川崎大師」適当に御利益のあるお寺を選んで参ったようです。
 そして、「講」なんてのを作って代表が遠いところまで出かけたようですね。
 「身延山」「善光寺」「お伊勢さん」「高野山」そして「熊野詣」なんて実に色んな所に行ったようです。
 「街道」というのがそこそこ整備されていたので庶民でも遠くまで行けたのでしょう。
 「道標」「一里塚」なんてのから「宿場」まで整備しましたからね。
 熊野古道も和歌山県側の分は随分古くから整備されてきたようです。
 何しろ「上皇」なんて人が通うくらいですからね。

 徒の「旅」が鉄道が敷かれるようになると「旅行」なんて呼ばれるようになってきたようです。
 うんと早く移動できるようになったので、効率よく見て回れるようになり、バスなんてのも出てくると、お寺や神社だけでは無く、まわりの景色も見に行くようになったようです。
 国の方も「国立公園」なんてのを指定して見所を増やしていったようです。
 それでも足りないからと「国定公園」が出来、外されたからと言って「県立公園」なんてのも出来ました。
 お墨付きが増えすぎて宣伝効果は落ちる一方でした。
 昭和10年代20年代は「国立公園」と言うだけで観光客が来たのですからね。
 いまでは国立公園がどこにあるか知っている人の方が少ないでしょう。
 小学校の社会の時間に「吉野熊野国立公園」「十和田八幡平国立公園」「富士箱根国立公園」・・・などと覚えた時代もあったのです。
 昭和11年(1936)に第一回の指定がされ、鬼ヶ城とか獅子岩・七里御浜なども「吉野熊野国立公園」としてその中に入ったのです。
 その頃には珍しい記念切手も発行され、大阪方面からの観光客が紀勢西線を蒸気機関車でやって来たのです。
 その頃は「景色」も観光の大きな目的だったのです。

 時代が下ると、そうした「公園」も矢鱈と増えて宣伝効果が薄れました。
 さらに、汽車は速くなるし飛行機は飛ぶし…
 「北海道」「沖縄」なんて本州とはおよそ違う景色の所が手の届く旅行先になってしまい、ますます色あせました。
 この辺の景色もすばらしいですが、「熊野じゃ無くては!」と言うほどでも無いですね。
 「大又川」も綺麗ですが、裏側の天川も綺麗だし、足助も奥入瀬も定山渓も大歩危も…
 「七里御浜」は綺麗ですが、九十九里も桂浜も三保の松原も・・・
 「熊野灘」は広い海ですが、変化に富んだ瀬戸内や松島も…
 「潮岬」も良いですが、竜飛岬も襟裳岬も日御碕も…

 まあ、この範囲の時は良かったです。
 地球が狭くなると・・・
 「大又川」とダニューブ川、セーヌ川、ロワール川、ライン川なんてのを比較することになるし
 「七里御浜」とイパネマ海岸やニース海岸と比べるし…
 「熊野灘」はエーゲ海、地中海、バルト海、南シナ海と比べるし・・・
 「潮岬」はノルドカップやソレントなんてのがライバルだし…

 ここまで競争相手とか比較対象が増えると大変です。
 それに人の一生で旅行できる時間も使えるお金も限られています。
 この広い地球でどことどこを訪れるか…
 
 私も日本国内で県単位でも鹿児島と宮崎は足を踏み入れていません。
 でもそんな遠くて高く付くところに出かけるのなら… 
 ミャンマーとかトルコとかまで行きたいし・・・
 どっちを選ぶ???
 宮崎海岸やや霧島を選ばないですね。
 この辺と少ししか違わないのは確かですから…
 それに、日本のB級グルメよりは外国のB夕グルメの方が面白いです。

 新東名のサービスエリアだけを巡るツアーなんてのが出ているらしいですね。
 観光の目的も変わってきたものです。
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熊野市周辺地図です
 

by je2luz | 2012-05-08 10:19 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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