LUZの熊野古道案内

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2012年 04月 22日

熊野の旅 熊野と外国

 熊野と外国というと、「秦の徐福」が出てきます。
 秦の始皇帝の命で「不老長寿」の薬草を探しに来たのだとか…
 探していたのが「天台烏薬」だったとか…
 現代医学で早く校が無いとか…

 歴史に残って?居るものではこれが古いものでしょう。
 でも、この立地条件から言うと人類が海に出るようになって以降には随分色んなのが流れ着いたでしょう。
 漁に出てそのまま流されてきた南方の漁師…
 冒険に出て流れ着いた向こう見ず…
 記録には残らないけど結構な数でしょうね。

 ここから出ていった人も沢山居ます。
 「普陀楽渡海」なんてのは極楽浄土向けの片道公開ですから別格ですが…
 戦前の満州にも沢山入植したようです。
 私の年の違う同僚にも「満鉄」に居た人も居ましたし、「満州引き揚げ者」の人も居ました。
 その頃だと、私の父は「北支」で戦死し、おじが「ビルマ」で戦死しているように、アジア各地に送り込まれています。
 平和に渡航した人たちには、戦前のブラジル移民と戦後のブラジル移民の人も居ます。
 「ボリビア」に移住した人は知りませんが、この地方からも居たのでしょうね。
 戦前に「ハワイ移民」も居たのかな?

 ブラジル移民で帰ってきた人も廻りには居ます。
 「ナンベー」などと呼ばれた家族も居ます。
 戦後になってブラジルで出世した人も居ます。
 サンパウロ州警察の大佐だとかでえばって居た人は南牟郡市木の人でした。
 ブラジルを訪れたときにその人の引率で警察の訓練を見せて貰いましたが、アメリカの州の軍隊のように警察では無く完全な軍隊でした。
 バストスで大農園を経営している人も市木の人だったように思います。
 でも、貧しいままで終わった人の方が多いのでしょうね。

 こんな風に世界に散っていった「熊野人」も多いようです。
 そして、近年では大昔のように南方系の人が入ってくるようになりました。
 豊田などのような工員さんとしてでは無く、夜の仕事で来る女の子とか、日本の田舎ではよく見られるように「嫁不足」を解消するための花嫁さんです。
 ほんの半世紀前には「戦争花嫁」で日本の女の子がアメリカなどに渡っていたのですけどね。

 日本の国籍法は島国だったので制約がきついようですね。
 渡航していた日本人にはそこそこ優しく、帰国も楽だったようですが、入ってくる人には厳しいようです。
 元々は「単一民族では無かったようなのに、すっかり「大和民族」で一括りしてしまいましたから、その他は「外人」「異民族」なんですね。
 「花嫁さん」になってくれても…

 米軍基地も無いし…
 近代では流れ着いたのは「トルコの軍艦」くらいだし…
 今でも「外人さん」は珍しいです。
 新宮では「合気道}?の道場に目の青い弟子がちょこちょこ来るようですけど、それ以外は…
 「世界遺産」になってからも外人さんの「バックパッカー」はあまり見かけません。
 鎖国している訳では無いのですけどねえ…
 中学校の英語講師が数人居るようですが、目に付きませんね。

 観光地だし、「秦の徐福」の伝説もあるけど、今はやりの「中国人観光客」も来ません。
 和歌山県は力を入れているので白浜くらいまでは来ているようですけどね。
 白浜は「温泉」があるし、中国人のお目当ての「大阪日本橋」とのセットで売り込めますからね。
 日本人のツアー同様駆け足?全力疾走?の団体さんに、「田舎の峠道を歩け!」と言っても来る訳無いですよね。

 と言うことで、熊野と外国って、縁が無いことは無いのですが、日本の中では、「外国が遠い場所」なのかも知れません。
 飛行場も遠いですけど…
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熊野市周辺地図です
 

by je2luz | 2012-04-22 11:39 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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