LUZの熊野古道案内

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2012年 02月 26日

熊野の旅 今昔物語 関西か東海か

 三重県というところは広域の行政連絡会議などでは、「関西」と「東海」の両方に顔を出します。
 公式の行政区分では、国の出先は「東海」と名のつくところが支配しています。
 私のアマチュア無線のコールサインも「JE2LUZ」で東海電波監理局…今では、東海総合通信局の管轄です。
 古くから、浪速や都とお伊勢さんとの交流もあったし、その関係でしかれたような近畿日本鉄道の便利さで名張など周辺は関西向きに生活してきたようです。
 そして、ここ熊野市などは鉄道がズッと大阪としか結ばれていなかったので、商売も人の動きも関西向けになっていました。
 そもそも、地形的にもそちら向きの方がスムーズなので、ここは「紀伊国・紀州藩」なのです。

 紀勢線が全通して半世紀…
 国鉄民営化で、紀勢線の東西の区分が変わって、熊野川が会社のテリトリー境界になりました。
 そうした流れの中で、熊野市を通る列車は名古屋へは乗り換え無しですが、大阪へは新宮乗り換えになっています。
 勝浦まではJR東海の特急は行っていますが、大阪・天王寺からの列車はこちらに来ていません。
 いや、来られません。
 JR西日本の紀勢線は電化され特急から普通列車まで全部電車です。
 JR東海の紀勢線は電化されずディーゼルです。
 だから、東海の列車は向こう側を走れても、向こうのは新宮駅を通り越すと熊野川に掛かるところのトンネルまでしか架線がないので来られません。
 電車って不便な物です。

 こうして、昔からの関西圏だった「木本」もどんどん東海化されて行きました。
 商店の仕入れも大阪だったのが名古屋になったり…
 就職先も名古屋方面が増えたり…
 それでも、電気だけは熊野の真ん中までは「関西電力」です。

 今の若い人からすれば熊野市は「東海」だと感じるのかも知れません。
 天王寺駅に降りたことのない人がほとんどですからね。
 私も名古屋駅に降りることはあってももう天王寺駅には降りません。
 松阪経由近鉄線鶴橋・上本町とかがせいぜいです。
 海外旅行も「中部国際空港・セントレア」からが多いようです。
 そして、お城と言えば「名古屋城」が浮かぶそうです。
 私などは未だに「大阪城」なんですけどね。
 それでも私は来るまでと会に出るときは無条件で大阪に出ますね。
 古いのでしょうけど、名古屋になじめません。
 そして、先般の地デジ化のときもCATVから関西系の放送が消えると言うことで大騒ぎしたのも年配の人が多かったです。
 騒いだ筆頭の私が高齢者ですしね。

 下の写真は、焼ける前の「大阪城」です。
 これもネガとして残っています。
 せんご、そっくりに再建したのでしょうが、なんだか少し違うような…
 木造と鉄筋コンクリートの違いでしょうか?
 私が初めて見たのは「大阪城」でしたが、これではなく。鉄筋コンクリートの方でした。
 「エレベーター」の付いた方って事です。
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熊野市周辺地図です
 

by je2luz | 2012-02-26 10:28 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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