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LUZの熊野古道案内

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2012年 02月 24日

熊野の旅 昔の話 ラジオ…情報僻地

 私が小さな頃…
 今の天皇陛下と皇后様のご成婚式までは日本中がそんな物だったのでしょうが、テレビなんてありませんでした。
 テレビという物を見るのは「映画のニュース」なんて事でしたかられね。
 そう言う時代は家で手軽にニュースから娯楽まで接しられるのはラジオでした。
 さすがに私は「愛宕山」からの第一声の時代ではありません。
 それに、「耐えがたきを耐え…」という放送は記憶にありません。
 私が覚えているのは、「鐘の鳴る丘」とかその後に続いた「新諸国物語」なんて物です。
 「鐘の鳴る丘」では子供は泣きませんでしたが大人は涙した物らしいです。
 「笛吹童子」なんてのでは画像もないのに子供が夢中になり見たこともない「笛吹童子」のまねをしたものです。
 浪速千栄子と花菱アチャコの「アチャコ青春物語」「アチャコほろにが物語」なんてシリーズはさしずめ「寅さんシリーズ」みたいな物でしょう。
 クイズ番組のはしり「二十の扉」とか、うんちく物の「話の泉」、未だに続く「NHKのど自慢」とか司会者を国会議員にまで押し上げた「三つの歌」・・・民放が動き出すまでは日本放送協会が元気でした。
 もちろん、大相撲もラジオでした。野球もそうでした。
 ラジオのスポーツ中継は賑やかなのでこれ又、絵もないのに夢中になりました。
 プロ野球中継は「日本短波放送」が試合終了まで中継してくれるので、中波しかないラジオにチューナーを付けて受信しました。
 今の地デジを無理矢理チューナーで古いテレビで見るような物です。

 そんな昔は、こんな田舎にラジオの中継所がある訳も無し…
 民放など受信したかったらアンテナを張らないときれいに入りませんでした。
 私も部屋から裏山に向かって針金を張って居ました。
 まだアマチュア無線家では無いので詳しく分らないまま試行錯誤しましたね。
 東京の文化放送・新日本放送なんてのから、RKB毎日なんて確か九州の放送まで受信できました。
 季節により、時間により伝搬状況が変わるので困りましたし、今なら分る「フェージング」という波打つ電波の強さで苦労しました。
 我が家は「5球スーパー」…「マジックアイ付」という最新型があったので一杯入りました。
 大人になって分ったのは「スーパー」とは「スーパヘテロダイン方式」だったようです。
 テレビも中継所がないので高い山の上で電波を探し回って延々とケーブルを引っ張っていたのですし、電波も僻地でしたね。
 交通も「陸の孤島」なんて呼ばれたし…
 時代が下っても、「ADSL」の入ったのもうんと後だし、中心部以外は未だにADSLは使えません。
 「光ファイバー」などはとうの昔に熊野のNTT局舎まで来ているのに、外には出てきません。
 これ又未だに「情報僻地」のままです。
 なんとか、CATV網だけは行政の補助があり市内全域に張り巡らされているのでNETだけはなんとはどこでも繋げますけどね。

 もちろん、「Wi-Fi」だとか「フリースポット」なんて便利な物はありませんし、役所も理解していないという後進地です。
 過疎だし老人が多いし…見込み客が増える見込みも少ないし…
 行政でも力を入れないと営利団体は逃げますね。

 ラジオとかに熱中していた時代は、町中での「共通の話題」なんてのもあったのですが、段々「情報」とやらが多様化してしまったので、そんなのもなくなりましたね。
 歌だって、みんなが知っている「流行歌」なんてほとんど無いですからね。
 寂しい世の中になってしまったのかも知れません。
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熊野市周辺地図です
 

by je2luz | 2012-02-24 11:17 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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