昔は娯楽が少なく映画なんてのはものすごく人気のある物でした。
テレビなんて無いのですから、動いて喋るのは芝居か映画でした。
田舎では歌舞伎だとか新国劇なんてのが見られるはずも無し…
たまには回ってきましたが、「旅芸人一座」でした。
幟には「市川〇〇右衛門」「中村××之丞」なんて書いてはありましたけどね。
小さな一座でも、時代劇も現代劇も歌謡曲も手品も何でもこなしていましたね。
この辺は九州ほど熱心ではないので毎年来るなんてことも無かったです。
映画に関しては、木本には戦前からの伝統ある小屋が一軒ありました。
私が子供の頃には「明治座」と名乗っていました。後には「東映」になったのかな?
そして、戦後の映画全盛時代には「新明治座」…「新名」がその近くに出来、さらには埋め立てを完了した駅前の丸山町に「丸山映劇」が出来ました。
なんと、三軒もあったのです。
明治座は時代劇が多かったように思います。
丸山映劇は洋画と日活でしたかね?
日本の映画会社だけでも「五社体制」と言われる時代でしたから、三軒だと足りないくらいだったのですね。
新鹿にもあったし、ダム工事時代は神川にもあったようです。
それでも、山間部や海岸線の人は中々見に出てこられませんでしたから、移動上映がありました。
映画などの出てくるやつですが、屋外ではなく、学校の講堂や青年倶楽部…今の集会場みたいなところでやりましたね。
上映するのは少し古い作品で、フィルムが傷んでいるので、雨は降るし、途中で切れるし…
それでも、お客さんはせいぜい催促の指笛を鳴らす程度で我慢していました。
入りきれない人は窓から覗いていましたね。
あの時代は映画館でもそうだったのですが。「鞍馬天狗」なんてのが杉作少年を救いに馬を走らせ出すと…
「早く! 急いでーー!」
何とか間に合うと・・・(当たり前なんですよね、まさにシナリオ通りなんですから…)
「会場は大きな拍手で包まれました。
古き良き時代ですね。
悲恋物だと会場はすすり泣く声や嗚咽でうるさいくらいでしたしね。
何時無くなったのか記憶にないですが、今では一軒もありません。
建物は、記念通りの「東映プラザ」と栄町のヤマト酒店の傍の工場として残ってはいますけどね。
これが映画館だったとは思わないでしょうね。
今は、市民会館でたまに上映していますが、子供向けのアニメとかみたいです。
新宮でも市内の映画館が消え、巴川製紙工場跡のショッピングセンターに三部屋かそこいらの映画館が出来ています。
こちらは今流で新しい映画をやっています。
デジタルらしいですけど…
行ったこともありますが、昔のアートシアターよりも狭い物です。
さらに、私が行ったときがたまたまそうだったのか、観客は私達一行三名でした。
いくらコストダウンしているにしても…
音響だけはなんチャンネルか知りませんがあちこちから聞こえましたね。
今は、レンタルDVDで自分流に鑑賞するのでしょう。
私などはワイドでもないモニターでPCの音源での鑑賞になるのですから、借りてくる気にもなりません。
せいぜいテレビのアニメくらいしかまともに「鑑賞」など出来る環境ではないです。
熊野市周辺地図です