LUZの熊野古道案内

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2012年 02月 11日

熊野の旅 春の味覚が・・・

 七里御浜から春の風物詩の「地引き網」が消えてずいぶんになります。
 昔は年中引かれていたのですが、浜がに賑わったのは春の「鰯漁」が始まる頃でした。
 鰯の群れが岸辺に近づくと、それを追いかけて鯖やハマチが群れをなす・・・
 鳶が固まって空を舞う・・・
 海面に縮緬皺のようなさざ波が立つ・・・
 堤防で見張りをしていたお年寄りが仲間を呼んで船を出す・・・

 地引が亡くなる頃には発動機とウインチで網を巻いていましたが、私が小さな頃は人力の「ろくろ」で巻いていました。
 網の両端をそれぞれのろくろで巻き上げたのです。
 同じところをぐるぐると・・・
 歩きにくい浜で歩き続ける仕事です。
 漁師町のおかみさんたちが主でしたね。
 時間も掛かるし、人手が足りないので漁師町の人でない人も手伝っていました。
 ボランティアみたいですかで、最後まで手伝うと「おだちん」が貰えました。
 捕れ捕れの魚です。
 だからちゃっかりとバケツをもって手伝いに行く人も多かったです。
 今風に考えると・・・
 最低賃金が700円で二時間ほど手伝って晩のおかずでは・・・
 でも、その頃は「パート」なんてのもないし・・・
 捕れ捕れの魚は最高のごちそうでしたからね。

 地引が消えて、沖取りの魚、全国の魚がスーパーに並ぶようになって季節感が薄れてしまいましたが、このところ「小イワシ」が並び出しました。
 ものすごく小さくて、唐揚げにも向かないほどのが並ぶのも猟場ならですね。
 もう少しすると、7~10cm位の唐揚げ向きに育ったのが水揚げされると思います。
 春ですねえ・・・

 昔々はこれを追いかけて「鯨」まで来たのでしょうかね?
 この辺でも「鯨が捕れた」という記録もあるし、鯨の供養碑もあるようですからね。
 「鯨が捕れると七浦潤う」・・・なんて言われたとか・・・
 でも、私が子供の頃には鯨を捕ったなんてのは聞きませんでした。
 もう、鯨は南氷洋のものでした。
 太地の人も近海ではなく下関あたりからマルハ大洋漁業の漁船団の砲手として南氷洋に出かけていた時代ですね。
d0045383_10523639.jpg

 この和船は口有馬の物で、最後は「観光地引」をやっていましたが、今はもう引いていないのでしょう。
 志原尻のは船も消えていますからね。
 写真は2005年撮影ですがカメラはもっと地引が盛んだった1930年代の物です。

 カメラはドイツ・ウエルタ・ペルレ1934-39

 
熊野市周辺地図です
 

by je2luz | 2012-02-11 11:03 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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