新しい綱が無事に支柱に掛けられたら、綱の端をきちんとくくりつけて緩まないようにします。
昔は綱を支える支柱もくくりつける物も「松の老木」でした。
大きな松の張り出した枝に掛け、端っこも松の木の根元に結わえたのです。
今ではちょいと無粋なコンクリートの柱です。
戦後猛威をふるった松食い虫によって松の老木が枯れてしまったのでこうなっちゃったのです。
途中の部分は松の枝に引っかけて居ます。
後から植えられた松もだいぶん大きくなっては居ますが、きちんとした大木になる前に枯れそうな雰囲気です。
松の専門家の意見とは合わない状態がこの境内では起きていますからね。
松の木を松食い虫。線虫から守るには、松を元気いっぱいに育てなくてはならないので、足元の雑木類は退治してきれいさっぱりしなくてはならないそうです。
この境内ではその逆の状態なのです。
国道からすかすかスケスケにならないようにしているのでしょうけど…
この綱はこの先、半年あまり頑張らなくてはなりません。
次の綱は「秋のお綱掛」10月2日まで掛けられません。
この間が半年で無いのは台風なんて大敵が頻繁に来る時期に掛け替えても切られちゃうかも知れませんね。
写真でもおわかりかと思いますが、綱と言っても手でなった藁縄ですから、100mもの長さではとても持ちこたえられません。
この一連の作業は口有馬・羽市木という花の窟神社隣接の集落を中心とした人たちが行っています。
岩の天辺に登る人、綱を張る一般参加者を誘導する人、綱の処理をする人…
昔は若い衆が山に登ったのですが、今では「有馬では若い」と言う年代の人ばかりになってきています。
新宮の火まつりなどのようなまつりだと若い衆が集まりよいようですがちょっと地味になると寄ってこないんです。
かくいう私も「まつり」は好きな方では無いのですけどね。
お綱掛などの様に神事、行事優先のは良いのですが、田舎に多い、ぐだぐだと酒を飲むまつりが小さい時から嫌いだったのです。
近年では、その「ぐだぐだ酒を飲む人」すら居なくなってきて田舎のまつりが消えそうです。
この綱を「なう」のは素人さんの奉仕です。
1月の20日くらいの頃に集まって作ります。
ローカル新聞には呼びかけが載ることもあります。
誰でも構わないようです。
今では「身を清めてこい」なんて事は言わないようです。
難しい仕事では無いですが、少し埃っぽかも知れません。
小さい頃に作ったこともありますけどね。
その頃は「藁草履」も作りましたよ。
時代が分りますね。
学校の上履きが藁草履でしたから…
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