紀伊半島は全面的に過疎が進んでいます。
この過疎が始まったのは1960年ごろからになります。東北、九州から就職列車と言われる金の卵を運ぶ臨時列車が出るほどの勢いで田舎の若者を京浜・阪神の都市圏に連れて行ったのです。
この流れは半世紀経っても変わりません。違うのは輸出できる若者の数が減ってしまったことです。
田舎で過疎が進み住民登録人口が減少しても、戸籍人口は中々減少しないものです。結婚して新戸籍を作るまでは、親のところに残るからです。更には戸籍はどこにあってもさほど実生活にかわりが無いし、一度登録すると移すのも厄介なので結婚時にアパート住まいなどのときは新戸籍も田舎に作る人が多いのです。だから、熊野でも戸籍人口は増える一方で5万人と言われたこともあります。住民登録人口は2万人に近づいてもそんな状況でした。
最近では、その親が居なくなり、本籍がここにあることのほうが不都合になり本籍人口の現象が進んでいます。
現代風な面ではそうなのですが、もっと違う面から見ると、元々檀家寺であったところと縁が切れてしまうということも増えています。親も兄弟も居なくなり、墓参りもママならなくなって・・・幽霊地主ならぬ幽霊檀家が増えたのです。お寺さんの経営基盤が根底から崩れ始めています。
木本町で一番大きなお寺「極楽寺」さんでも、敷地内に墓地を抱えていて、要地不足で難儀していたものですが、近年、寺籍の無くなった家の墓地をきちんと整理したところ、ものすごい数に登りました。法事を済ませ今はただの石に戻った石塔が裏の岩山の斜面を埋め尽くし上へ上へと登ってゆきました。この石の山こそ、熊野の人が熊野を離れた証です。この街中の墓地でさえ空き区画があります。檀家以外はは入れない敷地内墓地と言うこともありますが、これだけ檀家が減ったと言うことです。
この傾向は全てのお寺さんに起きていますし、山間部の共同墓地では至る所に空き地が発生しています。
神々の里に人が住み着いてどれくらいになるのか分かりませんが、段々と、神々の里らしくなってきています。
熊野は山又山、うっそうと茂った木々の間に、めったに人の通らない細い道が通っている・・・そんな景色が似合うところです。
カメラは
Agfa KARAT 36