LUZの熊野古道案内

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2012年 01月 12日

熊野の旅 木本堤防 2

 ここ木本町は両端に「西郷川・にしごがわ」と「井戸側」があります。
 井戸川は他の七里御浜に出てくる川同様、「河口閉塞」に泣いてきた川です。
 その構造から後背地には沼地がありました。
 今は埋め立てて、駅前丸山・駅裏赤坂・井土などの住宅地になっている所は、河口が詰まった時の遊水池だったのです。
 水田に使われていましたが、しょっちゅう浸かってしまうやっかいな農地だったのです。
 埋め立ててからも時々浸水する土地でしたし、先頃の12号台風でもほぼ全域浸かりました。
 しかし、一番出口の部分は地盤が高いので洪水の時でも水に漬かりません。
 西郷川も河口が詰まるのですが、すぐ脇が磯になっているので他の川よりは背後の遊水池は大きくないです。
 少し上流の県立木本高校辺りが遊水池になりますから、昔から時々水に漬かってきました。
 ここも河口に近い一部を除いて地盤が高いので洪水には強いのです。
 この二つに挟まれた所に木本町があるので、比較的雨には強いのです。
 しかし、この高い地盤の海岸線の土地を作ったのは「波」なんです。
 熊野川が運び出した大量の土砂を波が運んで積み上げていった所ですからね。
 「天橋立」の大きな物が出来てそこに人が住み着いたって事です。
 浜も「砂」では無く「砂利」ですから少し大きな波で無いと運べませんし、いくら休み無く働くにしても、波の届かない所まで砂利を押し上げることは出来ません。
 つまり、この町の高さまでは波が来ているって事です。
 100年に一回の津波の他にも毎年のように襲ってくる台風もこの土地を造成してきたのでしょう。
 人間様が住み着いてからはその波が「厄介者」にされて居ます。
 海から見れば人間なんて勝手なことを言う物です。
 この土地を造成した恩人なのにねえ。
 人間が不法占拠したみたいな物なんですけどね。

 雨の水害には強い木本ですが、このように波の脅威にはズッとさらされてきました。
 奥熊野代官所の記録などにも、「大風吹き高潮来たりて家ながる」なんてのが一杯出てくるようですからね。
 高波に対しては、昨日も書いたように代々頑張って堤防を築いてきました。
 更に平成に入って沖に「潜堤」も築いて他所の海岸よりはうんと安全にしました。
 祖父の時代に木本の海岸に面した所に住み着いて以来こうした事業に関わることが因縁みたいな物です。
 祖父も町会議員をやっていましたしね。

 ようやくここまでやったのですが、残念ながらM9というような普通では存在しないレベルの地震と至近距離で発生する10mを越す津波には耐えられそうにありません。
 どっちみち起きるのですが、せめて昭和19年のマグネチュード7台後半の規模で納まって欲しい物です。
 その規模なら木本・有馬などは地震による家屋倒壊以外は無傷で済むのです。
 それでも、市内大泊・新鹿などは壊滅的被害が予測されます。
 尾鷲市も昭和19年の時と津波に関してはほとんど改善されていませんから、町の半分は消えるでしょう。
 先般三重県が予測したM9クラスだとこの木本でも浸水するのですから他の地区は推して知るべし…なんです。
 ここの海抜14mとか15mと言う堤防でも安心できないのです。
 木本の地面は海抜11mから12mあるのですし、湾の奥にある訳では無いのですけどね。
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 今のところ浜に出る通路の樋門が開いたままです。
 これを常時閉鎖に変えないといけませんが、浜に出ることも無い人が「浜への出入りは住民の権利だ」「階段を上るなんて不自由だ」などと反対の声を上げます。
 町が消えて死人が出るのとどっちを選ぶのでしょうね?
 そんな人は被害が出た時に一番大きな声で「行政は何をしていた!」と叫ぶんですよね。
 何とか早く閉鎖に持ち込みたいのですが、この堤防には浜へつながる階段がまだ無いんです。
 これを完成させたら私の堤防への関わりも一段落するのですけどねえ…

 
熊野市周辺地図です
 

by je2luz | 2012-01-12 10:03 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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