LUZの熊野古道案内

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2012年 01月 11日

熊野の旅 木本堤防 1

 熊野灘に面し台風の直撃を何年に一度かは受ける木本の町は人が住み着いて以来ずっと高波と戦ってきた所です。
 古い時代は建物も掘っ立て小屋みたいな物でしたし、水の無い浜筋にはどうせ網小屋くらいしか無かったでしょうから逃げ出しておしまいと言うこともあったでしょう。
 しかし、まともに町ができはじめるとそんな訳には行かなかったでしょう。
 いまは海岸沿いはコンクリートの堤防と国道になっていますが、昔はここも松原があったのです。
 松原は防風林と高波も少し和らげる作用もあったからです。
 この松が消えたのは昭和40年頃でしょうね。
 私が撮った木本の写真に木本最後の松が写った物がありますからね。
 我が家から数十メートル鬼ヶ城寄りに松の古木があったのを記憶しています。

 堤防は石積みで浜をうんと掘り下げた深さから立ち上がっていました。
 日本列島、紀伊半島は定期的に浮いたり沈んだりしているそうで、砂利の多い少ないだけでは無く浜の高さが変わっています。
 どういう訳かその事実は全く触れられなくなりました。
 今は船着き場のコンクリート埠頭で埋められた脇浜の岩、大泊の石突き埠頭の跡などが海面に沈む時と現れる時があるのです。もちろん潮の満ち干だけで泣くのは梨です。
 私が記憶するくらいですから結構早い周期なのでしょうね。
 大きく動くのは東南海地震などでしょうけどね。
 ベースになる海抜が動くのにそれに目をつぶって居る辺りも不思議な事です。
 
 高波にとってなら30cmとかの差はまあまあですが、「津波」に対してだと大きな違いになってしまいます。
 もし、そこが限界のラインだとすると、30cmの差で町が消える可能性も含むのです。
 概略なら電卓ででもはじける程度のシュミレーションなのですけどねえ…

 本格的な土木工事がなされるようになった大正・昭和と木本町が積み重ねてきた「木本堤防」の歴史がコンクリートの下から現れたのが昨年の秋です。
 そして、今、もう一度コンクリートの陰に隠れようとしています。
 工事主体の県土木がびっくりするほど丁寧・頑丈に積まれていた旧・旧・旧くらいの木本石組み堤防は外すこと無くコンクリートの厚い壁の下に再び埋められました。
 今式の「あんこ工法」より遙かに頑丈になりますからね。
 新しい物の方が頑丈なんて神話は通用しません。
 水害なども先人の知恵の方が正しいことが多いですからね。
 このように工事計画を変更してでも頑丈さの方を選んだ県土木には感謝します。
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 堤防のこちら側の足元のセメント基礎の厚みも津波で越えてくる水流を考慮してくれるようにお願いしてやって貰いました。
 このような交渉は下手に市役所を通したり団体を組むより個人の方が早い所があります。
 25年にわたりこの堤防の工事全般に目を光らせ、本当にここに住む住民の皆さんに交渉を委託されてきた分強みがあります。
 伊勢湾台風以来の高波をここで体験してきた数少ない人間でもありますしね。

 この新堤防も「津波」には不完全です。
 東北の津波の前からそれも交渉中なのですが、あの津波で真剣に考えてくれるようには成っても日本国中が大正になってしまったので、この過疎地の町を守って貰う順番が来るのが何時になるやら…
 「待ちを守る」のではなく「人を守る」というのが正確かも知れません。

 
熊野市周辺地図です
 

 

by je2luz | 2012-01-11 10:19 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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