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LUZの熊野古道案内

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2011年 12月 27日

熊野の旅 歳末朝市 2

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 朝日を浴びて…
 でも、寒かったです。
 雪も無し…ただ寒いだけ…
 でも、木本で寒いなんて言っては贅沢です。
 この朝は山間部紀和町西山などには雪が少し積もりましたからね。
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 寒いなか、ギターの弾き語り…
 指が凍えるでしょうね。
 高音の方の弦を押さえる指は痛いでしょうね。
 この子の前に男の子が弾いていましたが、その時はそんな風に思わなかったのですが…
 こうした路上ライブも若い人が居ないので寂しいです。
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 この通りが「石畳」です。
 世界遺産指定を受けて「修復」では無く「新設」しました。
 石灯籠など建てなかっただけましかも知れませんね。
 この道が出来、熊野詣でがまだ盛んだった頃は砂利道でした。
 下が砂利浜ですから地道でも水はけは悪く無かったですからね。
 私が子供の頃も砂利道でした。
 その頃の本町通りは木本のメインストリートでしたから人通りが多かったです。
 新宮行きのバスは駅を出発して記念通りー上木本ー二丁目ー関船町・・・と、この通りを通っていました。
 こんな道幅ですから当時のバスは小さかったのです。
 でも、対抗するのが大変で軒を削ることもあったのです。
 バスが大きくなってここを通らなくなった頃には新宮ー木本間の三重交通は20分に一本程度は走っていた物で、結構混み合っていました。
 今では通学時間とか朝夕は30分に一本、その間は一時間一本なのかと思います。
 高校生も通学に使いますが、二つの高校共に鉄道の駅から徒歩で行ける所なので圧倒的に列車通学が多いです。
 歴史的に列車のダイヤは熊野市駅を使う県立木本高校に合わせてあります。
 後進の阿田和駅を使う県立紀南高校の生徒の方が少しばかり不便になります。
 列車の方がバスより少ないのですから、そうなってしまいますね。

 昭和30年代頃までの本町は夜になっても歩く人が多かったし、履き物は「下駄」でしたから、夜には砂利を踏みしめる音が結構うるさかった物です。
 何しろ、家の中もテレビなんて無いので静かでしたからね。
 紀勢線はここで切れているし、巡航船はのべつ欠航するし…
 旅人も沢山木本に泊まりましたからね。
 旅館・料亭・割烹旅館…小料理屋・バー・スタンド…女郎屋までそろった町だったのですからね。
 近隣の山間部の村の人にとっては「木本へ行く」なんてのは大都会に行くようなものだったのです。
 その頃にこんな朝市をやろうなんてしたら、商売人に「店先で邪魔するな!」と、叱られたでしょうね。

 
熊野市周辺地図です
 

by je2luz | 2011-12-27 12:05 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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