私も昭和・平成と二つの御代を生きてきました。
平成になって23年ですね。
私にとって昭和は幼い時から元気いっぱいの時代ほぼ全部が納まる長さです。
平成はそろそろ頂上から下り坂が見え始め下りだした時期ですね。
精神的には随分逆らっていますけど…
何時だったのでしょうね。
天皇陛下だか皇太子殿下だかが木本においでになるというので、国道が急遽舗装されたのです。
駅から鬼ヶ城まで…
見える所だけやっておこう…ってやり方です。
まだ日本が復興しきっていない時代だったので、便乗土木工事もたいした金が使えなかったらしくペラペラのアスファルトでした。
まだまだ国道ではコンクリート舗装がやられていた頃だったと思います。
継ぎ目だらけで、「ゴツゥ・ゴツゥ」と音を立てながら走ったものですからね。
国道一号線も全線舗装では無かったです。
都内だって大阪だって都電・市電が走っていて道路が石畳の所があった時代です。
今日は「天皇誕生日」だそうです。
今上天皇のご成婚の時に我が家もテレビが入りました。
まだ恐ろしく高い白黒テレビでしたが、一杯人がよってきて成婚式の馬車行列を見た記憶があります。
電波の僻地木本ですからすでにその時には共聴アンテナでした。
今でも電波僻地なんですけどね。
嫌でも共聴アンテナ組合、今だとケーブルテレビに加入しなくては成らないので少し高いものにつきます。
それでも日本放送協会は受信料の割引など考えてくれたことは無いです。
それ以来天皇陛下と縁の無い所ですが、時々、「近くに来られているな」と言うのが感じられる時があります。
いや…超能力なんかでは無く、何も無い時にお巡りさんが警備にでているのが目立つ時があるのです。
三重県には伊勢神宮がありますから、天皇陛下・皇室の方々が参拝に来られることがあります。
政治家でも総理大臣級になると100Km以上離れた所でも警戒がきつくなる感じがします。
今の時代ですからこの程度ですが、戦前だったら大変な警備だったのでしょうね。
もっとも、その頃にはここからだと汽車もないし道もないし…
警備の必要は無かったでしょう。
海賊も坂上田村麻呂に退治されて以来おとなしかったようですしね。
この磯が海賊の根城・山の上が見晴台…この木本の町が海賊の本拠地・・・鬼の本拠地=鬼の元浦=きのもと=木本だそうです。
征夷大将軍がやってくるほどですからたいしたものだったのでしょう。
ひょっとすると、多蛾丸が退治されるまでが木本の華の時代だったのかも知れません。
熊野市周辺地図です