LUZの熊野古道案内

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2011年 12月 17日

熊野の旅 昔と今

 「今は昔…」なんて書き出すほど昔のことは知らないし、「いずれのおおんときか…」などと書き出すほど文才も無し…
 「歴史をひもとく…」なんて面倒なことは嫌いだし、ミミズの這った文字は読めないし…
 そして、「長老」と言うほど長く生きている訳でも無し…
 なんとも中途半端な存在です。
 せいせい、落語の「小言こうべえ」くらいのものでしょう。

 時々引用させて貰ったりする「岡本実先生」の書物などから垣間見る昔の熊野はやっぱり貧乏だったようです。
 日本中貧乏だったのだし、その中でも気候が温暖だという以外には平地もないし、だから人口も少ないし、海路以外には交通路からは離れているし…
 海賊以外に富豪が育つ素地の無い所です。
 今でもそうですが、中央から派遣される役人は「左遷」扱いだったのでしょう。
 鎌倉時代くらいには紀和町に送り込まれた鎌倉武士も居たようですが、菅原道真よりもっと寂しかったのでは無いでしょうか?
 太宰府の空は広いですが、板屋とかの空が狭いです。寒いです。

 それより、民百姓は食うに困ることも多かったようです。
 全国的な飢饉の時は紀州とて例外ではないし、御三家だからと言って年貢が安い訳でも無し…
 一揆を起こしたとて勝てる訳も無し…
 それでも一揆を起こしていたんですね。

 その一揆の残りが今や観光資源なんですね。
 藤堂高虎が築いた「赤木城」、北山一輝で使われたであろう大筒の想像レプリカの「北山筒」…
 それこそ、近隣の百姓の血の塊なんですけどね。
 はては、一揆の三社の首をはねた「刑場」まで…
 私が訪れたミューンヘン郊外の「ダッホウ収容所」も保存解放されて居ましたが、「観光地」としては扱っていませんでしたね。
 ぞっとするような遺留品が展示されていて、数少ない見物者もまさに無言で音も立てずに回っていました。
 北山一揆は時の流れがうんと長くなっているのでもはや悲劇も忍ばれませんけどね。
 私を始め見物人のほとんどは弾圧された「民百姓」の子孫のはずなんですが…
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 紀和の山の中にある「赤木城跡」です。
 小さな城ですが物見櫓もある本格的な城跡です。
 近隣の百姓一揆に備えて秀吉が作らせたとか…
 造ったのは藤堂高虎ですが、工事にかり出されたのは「西山村」などの「民百姓」だったのでしょう。
 つまり。一揆で首をはねられた人たちの子供や親戚…
 いつでもそうですが、権力側にはそんな反省の色などありませんからね。

 でも・・・
 中々良い城跡ですよ。
 訪れる人はまれですかドね。
 それと、お金にならない観光資源です。
 ここまで来るのは、せいぜい文化人とその人たちが連れて行く知り合いの文化人ですから…
 かくいう私も@観光地では全く金を使いません。
 だから、売店も何もないこうした所が好きです。

 
熊野市周辺地図です
 

by je2luz | 2011-12-17 10:31 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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