LUZの熊野古道案内

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2011年 11月 23日

熊野の旅 江戸時代 観光旅行

 熊野市史には江戸時代などの観光旅行についても少し触れられています。
 私達は「蟻の熊野詣」などと言って、観光客は熊野を目指すように思わされていますが、熊野界隈の人も結構外に出かけています。
 人口が今同様少ない所ですから収支は入り込みの方が多かったのでしょうけどね。
 歴史の方で習ったように、その時に役立ったのが「講」だったようです。
 この辺から「熊野三山」「大峰山」なんて今の世界遺産・「紀伊山地の霊場とその参詣道」で一緒くたになっている所へお参りに行くのも日帰りなんてのでは無いですから、「講」などを組んで代表者が「代参」したりしたようです。
 「ちょっと那智山へ初詣に行こうか…」なんて事は無理ですよね。
 木本から那智山まで40Km・10里くらいですからね。一時間に一里半歩いても36時間…三日あまりなんです。
 結構な旅ですよね。野宿って訳にも行かないし…
 それでも、熊野三山や大峰山だけでは無く、信州「善光寺」、浪速に登って「芝居見物」までした記録があるようです。
 一時期は「農協」が団体を組んであちこちに連れて行きましたが、日本人は物見遊山が好きなようです。

 昔の熊野の旅となれば、「餞別・せんべつ」が付き物ですね。
 古文の方で「餞別・馬のはなむけ」などと言うのが出てきたのを思い出す方もおられるでしょうが、私が子供の頃には修学旅行に出かける子供に親戚や近所の人から「餞別」が来た物です。もちろん、新婚旅行や普段の家族旅行でも餞別が来ました。
 餞別が出ると言うことは、「土産」を買って帰らなくてはなりません。
 今でもおばちゃん連中に見かけられるのですが、旅行に行って観光地を見ないで、「まずは土産物を…」という事になってしまいますし、江戸時代ともなるとバスでは無し、別送の宅急便も無し…
 そのためにも、目的を「お参り」にしておけば「ありがたい御札」で済みますよね。
 それに、お殿様やお代官様にも「お参り」は止められませんからね。

 その点では「熊野の御札」はものすごく御利益があることになって、吉原の女郎さんにものすごく人気があったとか…
 この「熊野誓紙」でどれだけの江戸の男が騙されたやら…
 これを売り歩く「熊野ごぜ」なんてのが江戸をうろついて…
 果ては目の開いた「ごぜ」がいて「ござ」を持って…
 まあ意味の分る人だけ分れば良い話ですね。
 この「熊野ごぜ」はけっして熊野出身という訳では無く、女一人が江戸で食いつなぐために身を落としたのも多かったようです。
 何しろ「人類最古の職業」と言われるくらいですからね。

  江戸時代の旅の費用の多くは「宿代」です。
 江戸中期の記録では北山方面の宿が結構高く、米に換算すると三升にもなったようです。
 夕飯と朝飯、お弁当を入れても三合から四合ですからねえ…
 京都より高かったとか…米が採れない所だから無理も無いのかなあ・・・
 それでも山賊に身ぐるみ剥がれるよりは…

 そして、そうした旅の経路では、木本から紀伊長島までを船で…というのが出てきます。
 これは昭和30年代終わりまでの「木本ー尾鷲」の巡航船と同じ事ですね。
 松本峠・大吹峠・逢神峠・・・八鬼山峠・馬越峠…平地がほとんど無く登ったり下りたり…おまけの遠回り…
 船賃が掛かっても海路の方が…でしょうね。
 これも磯伝いでもすぐ外は熊野灘…瀬戸内とは違いますけどねえ…

 この辺りにも「巡礼の碑」だとか「無塩さんの地蔵」なんて道ばたにあります。
 「旅に病みて…」って事でしょうね。
 命がけでお参りに来た「熊野三山」もすいすいと来られるようにありました。
 その分こちらからもすいすいと「USJ」とか「TDS」だとかに行けます。
 熊野古道歩きの人はお金を落としません。まさか今の時代、「伊勢の古市」をやることも出来ませんしね。
 こちらから出かける人は一杯お金を使います。
 と言って、こっちの人がお金持ちって事では無いですよ。
 観光の構造が違うんです。
 せめて、お賽銭とか御札代をうんと弾んでください。
 ??? 宗教法人はほとんど納税無し???
 まあ、熊野市には「熊野三山」はありません。
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熊野市周辺地図です
 

by je2luz | 2011-11-23 09:32 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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