LUZの熊野古道案内

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2011年 11月 21日

熊野の旅 お盆・正月以外には…前半年分

 ちょっと気になるのは、「熊野市史」には大農家で庄屋筋の坪田家の年中行事などを「庶民生活」として扱っていることです。
 たしかに、公家でも武家でも無いのですが、いくら田舎の大又といえども「坪田家」は小作人などの庶民とはいささか違ったのでは無いかと思いますが…
 この「晴雨日記」に書かれたことから、行事や本当の庶民の生活も推し量れるでしょうけどね。

 お盆・正月…と来れば、「彼岸」など他のがどうなっていたかも書かないといけませんね。

 彼岸は2月(旧暦)で、三日彼岸の中日には今と同じように「墓参り」と先祖の供養をしたようです。
 ・・・では無く、今でも続いていると言うことですね。
 そして、この彼岸にも村内の百姓から「彼岸の餅」や「お茶の子」を貰ったようです。
 この風習も昭和の中頃までは生きていました、
 それに、この辺でおやつ・休憩を「茶の子」というのはこの日記で言う「お茶の子」お茶受けのお菓子と同じ意味なのですね。

 三月には桃の節句があり、このときにも近村の百姓から「白酒」「祝餅」を貰っています。
 この桃の節句の習慣も私が子供の頃には残っていて、三色の菱餅をお寺や本家筋に持って行きました。
 そして、この節句が終わると4日から本格的な農作業に入ったそうです。

 四月は初夏になり苗代仕事など水田が忙しくなるようです。
 なんと8日の「釈迦誕生会」…「花祭り」にお茶の子を供えるのは良いのですが、このときにも村内の百姓から「お茶の子」を貰っています。
 まあ、色んな面で面倒を見ている大百姓・庄屋さんなどには普通の百姓や小作人はきちんとしなくてはならなかったのでしょうし、日記には書いていませんがお礼に来た人にはそれなりの返礼をしたでしょう。
 私が子供の頃。こうした「お礼廻り」に行くことは大切な「小遣い稼ぎ」でした。

 五月は「端午の節句」です。
 お祝いを貰っていますが、これも今同様「おさすり」「粽・ちまき」ですね。
 前にも書きましたが、「おさすり」は関東などの「柏餅」みたいな物で茨の一種の葉っぱで作ります。
 「粽」は男のシンボルで「おさすり」は女性のシンボルだと聞きました。
 形と言い、名前と言い…多分本当でしょうね。
 ???ちょっと食べるのに抵抗が出たかな???
 8日には「さなぶり」という田植えが終わったのを感謝する行事があります。
 これは結構全国であるし、今でもやっているようです。
 私が子供の頃には「さなぶりの運動会」てのがあって、小学校単位で集落主催の小運動会でした。
 時期が梅雨時なので雨の時が多かったです。

 六月になると百姓も一段落…
 「虫送り」があったようです。
 今では観光行事として「紀和町丸山千枚田」で復活させて行われていますが、私が子供の頃には飛鳥村では無くなっていて、祖父から話だけを聞きました。
 この頃にはお寺や神社でも「五穀成就」の祈願が行われたそうです。
 当然、農耕の民としては生活の中心、生命の源ですから行事の中心にあって当たり前ですね。
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熊野市周辺地図です
 

 

by je2luz | 2011-11-21 10:18 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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