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2011年 11月 01日

熊野の旅 先人の意気込み 旧木本堤防 1

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 写真熊野市木本町海岸、「旧木本堤防」の撤去工事現場です。
 この石組みはここに残る一番古い堤防です。
 大正から昭和の初めに掛けて位に構築された物だと思います。
 
 熊野灘に面し、人が住み着いて以来毎年のように台風に見舞われ、高波で被害を受けてきた町です。
 江戸期に頃には水の無い海岸沿い、今の本町にも木製の樋を使った飲み水を引いて住み始めましたが、高波の被害は防げなかったようです。

 木本が交通の要衝、地域経済の中心として栄えだしてから何とか高波片町を守ろうと総力を挙げて取り組んだのがこの石組み堤防でしょう。
 親地町から新出町までが木本町ですが、一部有井村に入る馬留もカバーする形で作られています。

 この石組みの上にコンクリートの堤防が積み上げられ、更にその後に二回のかさ上げの跡があります。
 最初にこの上にかさ上げされた物で戦時中から戦後すぐらしきものもあります。
 コンクリートなどの資材不足のせいでしょう、石を放り込んでかさを増やした質の悪い区間もあります。
 もちろん表面からは見えないように仕上げてありますけどね。

 今回の撤去工事では、『古い物は全部壊す予定でしたが、この石組みは試しに外そうとしてもがっちり組み上げられていて、外して今流のアンコにするよりはるかに強固なので県土木も残すことになりました。
 私の所にも「残してかまわないでしょうか?」と言う打診もありましたが、これだけの物ですから残してそのままコンクリートで巻きたてることに異論はありません。
 今の国道からだと1mほどでしょう。
 元の地面は20cmほど低いです。
 この石垣の根っこも深く入っています。
 浜の側も浜の高さの変動を折り込んでうんと下に入っているはずです。
 さらに、前に継ぎ足したときの土台の石垣も今の浜の高さからすると5mほど入っていたように記憶しています。

 紀伊半島は周期的に浮き沈みしているようです。
 その周期も結構短いようです。
 今より浜の砂利がうんと豊富だった頃にでも、堤防の足元の砂利の高さが随分低いときがありました。
 昔の花火の桟敷は後ろを堤防に乗せ、前を浜に足を下ろす形で組みました。
 その前足を毎年くらい調節して、届かないときは木製ですから新しい柱に変えたりしていました。
 計測されたデータなど無いようですが、経験と記憶ではそうなります。

 
熊野市周辺地図です
 

by je2luz | 2011-11-01 10:01 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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