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LUZの熊野古道案内

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2011年 10月 31日

熊野の旅 集落の力 波田須2

 熊野市は地形が複雑でこまかい集落がたくさんあります。
 海岸線でも漁業協同組合が6つもあったのですから、いかに細切れなのかがおわかりかと思います。
 山間部に入ればもっと複雑に刻まれているので、町・大字・字という区分でも平野部と違い隣の字でも家はつながっていなくて当たり前です。
 昭和の合併の旧熊野市でも八ヶ町村半集まったのですからね。

 波田須町は大字に当たる区分でしょう。
 昭和の時には波田須村では無く新鹿村の一部だったと思います。

 道路(新道)が出来るまでは岬越えで歩くか伝馬船で行き来するか、陸の孤島の一つだったのです。
 海に面していても浜は無く、入り江では無い磯だけの岸辺です。
 かつてはこの地先にも漁業権があり、波田須が持っていたようですが、船を着けることも出来ない所ですから手放したようです。
 今では隣の新鹿では無く、向かいの遊木が持っているとか聞いたことがあります。

 半農半漁から「漁」が消えたのですが、農の方も平野部がゼロの地形なので食える農業にはなりません。
 背後は山ですが、海に面した山は良質の木が育たないので山働きも他の所より少なかったようです。
 頼まれてもう少し良い山に行くには他の集落の人よりうんと余分に歩くことになり苦労する所です。
 でも、良い所はあります。
 日当たりが良い、台風の風は当たりにくい、津波は登ってこられない、本州で一番暖かいとまで言われるほど温暖な場所…なのです。

 集落内の道は国道311号線を除いて「ジェットコースター」みたいな物です。
 もし、車で来られたら、国道脇に車を置いて歩いてください。
 坂道発進の苦手な方だと大変なことになります。
 これだからこそ、例え前に家があっても縁側からは屋根しか見えないので日当たりは良いし、プライバシーも守られます。
 川があるではなし…
 棚田のミズには苦労したようです。
 なのに、こんな所に古くから人が住み着いたのです。
 徐福さんは住み付きに来たのでは無く、「天台烏薬」という「不老長寿の薬草」を探しに来たのです。
 その「天台烏薬」と言われる灌木があちこちで見られるのも波田須です。
 これをお茶にして商品化した所もありますが、とてもとても「不老長寿」にはなれないようです。
 効くのなら昨日書いたような「ウコン」なんて流行るはずはありません。
 そこまで行かなくても、ものすごく健康に良いならずっと服用されてきたと思いますが、この辺では見向きもしませんでしたからね。
 今の薬事法だと分析して効能が認められないと駄目ですし、「不老長寿」なんてとんでもない効能は、例え薬でも謳えないでしょう。
 そして、本当なら「ノーベル賞物」???
 いや、人類が増えすぎて禁止されるでしょう。

 他にも色んな伝承や行事があった所みたいですが、段々消えて行っているようで、住民の皆さんが心配しています。
 地味な物が多いので注目を浴びることも無いですしね。
熊野の旅 集落の力 波田須2_d0045383_10262476.jpg

 外部から見ると、「活性化」の前に「生き甲斐対策」が大事に見えます。
 田舎共通のことですけどねえ…
 60歳70歳…やる気を出して何かを始めても元々跡取りが残っていないのですから、10年先が…
 「小遣い程度でええさか、内職とかちょこっとした農産物はないかいのう…」
 と、言う人が居ましたが、それが一番でしょう。
 でも、世の中・行政はそんなのでは振り向いてくれにくいんです。
 「波田須アートフェスティバル」なんてのなら補助もあるんですけどねえ…
 住民と外来文化人・行政のギャップが大きいようです。
 昔々には秦の国から徐福さんなんてのがやって来た土地で、当時の世界最先端の文化の香りもかいだ所なのでしょうけど…

 でも、「自力更生で何とか…」と言う機運で集会が持たれるのは良いことですね。
 なまじ行政が絡まないので、行程表なんてありませんしね。
 来月はどんな話が出るのでしょう。
 続けていれば何かが見えてくるでしょう。

by je2luz | 2011-10-31 10:26 | 熊野


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