LUZの熊野古道案内

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2011年 08月 07日

熊野の旅 紀和の火祭り 1

 戸数=812、人口=1.390 面積=113平方キロ
 これが今の紀和町です。
 広大な面積の中に少しの住民、その多くが高齢者です。
 1キロ四方に12人ほどしか住んでいませんからね。
 その小さな町・・・今は熊野市の一部ですが・・・で大きな祭りを行うのは最早自力では無理な状態になってきています。
 この「火祭り」などは特色のある行事なのでお客さんも呼びよいのです。
 でも、本来は客を呼ぶのがお祭りの目的ではなかったはずなんですけどね。

 この火祭りも観光的な意味合いが強いので公的支援も受けているのです。
 会場周辺の集落の動ける年齢の男性数を推測してもとても会場設営や当日の整理も出来ないでしょう。
 そろいのTシャツを着て走り回っている若い人の多くは市職員です。
 悲しい現実ですね。
 自力でやれったって無理なんですから…
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 呼び物の一つがこの「北山砲」です。
 古くから耕地が少なくて苦しかったこの地方では「一揆」が起きました。
 「北山一揆」と呼ばれる大掛かりな一揆も起きて征伐されたようです。
 江戸時代の北山一揆で「大筒」が使われたと言う伝承から復活されたのがこの大砲です。
 今使われるのは、大きな花火の筒に丸太の外側を縛り付けたものです。
 発射するのはロケット花火のような火薬玉です。だから、すぐそばにいても筒が割れるとかの危険はありません。

 「北山一揆」といっても、今の北山村の百姓だけではなく、かなり広い範囲の村々が次々と放棄したようです。
 良くは知りませんがこの周辺のあちこちで一気に参加したお百姓さんの処刑地が残っているようです。
 歴史上の見世物なんてのの実際は血なまぐさいことばかりです。
 「北山砲」も実際に使われたとしたら大変な時代の生んだ代物です。
 ひょっとすると、旧日本軍が並べた、偽の大砲、偽の飛行機みたいなものだったのかも知れませんけどね。

 この写真を撮った私の周りのも規制ラインぎりぎりに三脚が10台余り建てられました。
 その、規制ラインは手前の大筒から2mほどなんです。
 ワイドレンズ使いの私にとってはありがたいです。

 今年のの「紀和の火祭り」は木本町記念通りの「歩行者天国」「寄せ太鼓コンテスト」「ビアガーデン」「夕涼み市」と競合したので人にも影響があったようです。
 何処の祭りでも見かける中心部の常連メンバーの顔が見られませんでした。
 仕方ないとは言え、人口19.500の所で、役所肝いりの大きなイベントを二箇所で開催させるのは無理ですね。
 「郡上踊り」とか「阿波踊り」のように遠来の客で会場が埋まるものではなく、近郊の人が集まるものですからねえ…
 立地条件の悪い所が気の毒です。

 
熊野市周辺地図です
 

by je2luz | 2011-08-07 10:09 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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