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LUZの熊野古道案内

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2011年 06月 11日

熊野の旅 蛍が居るの?

 私が子供の頃の夏には蛍が一杯居ました。
 秋になるとイナゴが一杯居ました。
 そして、大人になった頃にはその両方がほとんどが姿を消しました。
 戦後使われた百姓さんの強い味方の農薬のせいでした。
 DDT(ジクロロジフェニルトリクロロエタン)やBHC(ベンゼンヘキサクロライド)などと言う強力かつ持続性のある殺虫剤、ボルドー液(主薬硫酸銅)、ダイセンなどの殺菌剤、更にはソープレスソープなどと言われた主婦の強い味方の中性洗剤などが田舎の生物までも根絶やしに掛かったからです。
 表にはあまり出ませんが、人間でも犠牲者が出ていたようです。
 なにしろ、夏の夕方になると田圃にウンカ退治の殺虫剤をまき、あたりがかすむ状態でしたし、臭いがむんむんする中で夕飯の支度をして食事もしたのです。
 農機具や消毒器具は農業用水で洗うし、野菜も桶なども農業用水で洗ったのです。
 農村には水道などなかったですからね。

 でも、人間のように化け物のように強い生き物だと、今の時代の飽食よりは農薬混じりでも質素な食生活の方が良いのかその頃から寿命はどんどん延びましたね。
 今の高齢者はそんな時代に青年期と幼年期を過ごしたのです。(私もそうです)
 頭にDDTを振りかけられた女の子が男より10年も長生きするし…
 なのに、蛍やイナゴは居なくなったし、川の魚も減ってしまい背骨の曲がったのが一杯でした。
 ほんと、人間って怖い生物です。

 蛍が居なくなる時に居なくなったのが、『ゴジナ』です。
 今ではこの辺でも「カワニナ」などと呼んでいるようです。
 昔は用水路から谷川・・・そして本流の大又川などにも一杯居て、こいつらの好きな水の中のコケが育つ水が流れ落ちるような壁面にはぎっしり張り付いていたのです。
 そんなに居たのですから蛍の幼虫も餌が一杯あったのです。
 そして、何時の間にやら「ゴジナ」を見かけなくなり、蛍が消えたのです。

 最近は農薬も少し弱くなったし、使用量も減ってきたので、少し蛍の居るところが増えました。
 蛍を増やそう・・・なんて運動もあちこちでやっています。
 農村部には下水道がほとんどありません。
 つまり、今では家庭で使う台所洗剤や選択の洗剤がこうした生物の大敵です。
 ハードタイプではなくなったとはいえ、中性洗剤は石鹸のようには分解できませんからね。

 農林省で農村集落下水道整備事業と言うのがあったのですが、転々としか家の無いところで下水を作ると金の割りにカバーできる戸数が無いなど。実施できた所はほんの少しだけです。
 合併浄化槽もコストの問題や排水の問題で思ったほど普及しないし…
 垂れ流しは問題にされず、合併層などの排水が問題にされる不思議な現象です。
 これらが早く普及していたら随分田舎は変わっていたでしょうね。

 下の写真はたまたま御浜町阿田和の尾呂志川河口近くの用水路で見かけたものです。
 写真写りが悪く分かり難いのですが、一応固まってのそのそ動いていました。
 つまり…
 この辺には蛍も居るかもしれません。
 すぐそばで、「ぎゅうぎゅう!」と声がするので探すと「タニシ」も歩いていました。
 昔は当たり前の景色だったのですが、今の田舎ではそんなにゴロゴロしていませんからね。

 そうそう…
 御浜町阿田和にはこの周辺で唯一下水道が出来ています。
 この水路の位置だとその恩恵にあずかっていないかもしれませんけどね。

 もう一つ…
 蛍は刺しもしませんし喰い付きもしません。
 でも、幼虫の時にはこんな界を食い殺してくるんですよね?
 結構怖い虫なのかも…

熊野の旅 蛍が居るの?_d0045383_1091988.jpg



熊野市周辺地図です
 

by je2luz | 2011-06-11 10:17 | 熊野


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