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LUZの熊野古道案内

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2011年 06月 10日

熊野の旅 新宮川? やっぱり熊野川

 建設省とか国土地理院が「熊野川」を「新宮川」などと呼んでしまったのでことがややこしくなったのです。
 歴史的経緯がどうのこうの書いてあることもありますが、紀伊山地の水を集めて流れ下り、和歌山県の新宮と三重県の鵜殿の境目で海に出る川は、「熊野川」なんです。
 川の名前は河口部分の地名をつけるのだなんて分かったよう縄から無いような理屈を言う無機もあります。
 大きな川でもそんなになって無いのばかりでしょう。

 国だって、戦後行った国家プロジェクトの名前に『熊野川総合開発』なんて名前を付けたように思います。
 長い間川の名前を掲げる標識には「新宮川」と書かれていて、見るたびに不愉快な思いをしてきました。
 流域ではずっと不満が出ていたのですが、20年余り前に本格的にクレームを付け、「熊野川」併記を認めさせ、標識も『熊野川』を大きく記載するようにしたのですが、今でも役所などでは「新宮川」なんて呼ぶことが多いようです。
 熊野市の市報の記事にもそう書かれることがあります。
 私などは少々意地になっていますから腹が立ちますね。

 「熊野川総合開発」で作られたダムの水利権延長が近づいた二十数年前にその対策として市議会内に特別委員会を作りました。
 発起人の私は当然のように、『熊野川水系対策特別委員会』:を名乗りましたが、その根前でクレームが付いたのです。
 「国が新宮川を使っているので委員会の名前も新宮川と使ってくれませんか」と言うものです。
 私をはじめ構成員になる議員全員が、「これは熊野市議会の委員会だし、新宮川なんて存在せん!」と押し切りました。
 河口部分でも気に入らないのに、水系全体に新宮川をかぶそうなんて…

 十津川水系と北山川水系が合流して熊野川になるのです。
 熊野川水系はダムでズタズタにされながらも、戦後の日本の復興に使う電気を作ったのです。
 水の一部は分水され、十津川水系の一部は和歌山「紀ノ川」へ・・・北山川の一部は尾鷲に落とされています。
 大井川のように水のほとんど全部を分水されて河口部分には洪水の時以外に水が来ないなんて可愛そうなものもあります。
 熊野川はそんなに簡単には分水できない地形だったのがせめてもの救いだったのでしょうね。
 そんな事をされていたら、大井川河口付近の海岸線のように寝食が猛烈に進んで今頃は我が家も海の中だったでしょうね。

 熊野川でも大井川でも、「ダムの建設は河口部の海岸浸食には影響しない」と言うお墨付きを出した、『専門家・学者』が居たのです。
 この図式は「原発」も同じなんですよね。
 そして、建設省は海岸がどんなに寝食されても『因果関係が立証されない』と、ダムの影響を認めなかったのです。
 十数年前から少しずつ影響は認めるようにはなったのですが、責任には言及しません。
 お国の言う事を余り素直に聞くと後が怖いことも多いですよ。

 祖父の時代にやられた「熊野川総合開発」の影響の海岸浸食に孫の私がずっと取り組んでガタガタ騒いでいるのです。
 何かが起きるまでは普通の人にとってはどうでも良いことのようですけどね。
 どうでも良くないんです。
 自然の力はすさまじいです。
 
 学校で「山はどんどん寝食され、青年期ー壮年期ー老年期なんて変化する」習いました。
 私などまだ70年も生きていないので紀伊山地の変化はちっともわかりません。
 でも、七里御浜が痩せたのはわかります。
 ダムが出来て半世紀しか経っていないのにねえ…
d0045383_1084144.jpg
 

   カメラはミノルタ・オートコードL


熊野市周辺地図です
 

by je2luz | 2011-06-10 10:09 | 熊野 | Trackback | Comments(5)
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Commented by minato at 2011-10-03 21:02 x
昔は 波打ち際に行くのに 大変だった。
砂地を歩いて 大きなゴロゴロした石の上を歩き
また砂地に出て やっと波打ち際に出た憶えがあります。
それが 今では 国道から 波打ち際が すぐそこにあります。
ダムのせいか。 鵜殿港のせいか。

いずれにしても えらいこっちゃです。
自然をいらうと しっぺ返しが来ると言うことでしょうか。

淡路島も有名な海水浴場の近くに 港が出来てから
海岸の浸食が始まり 海水浴場が 小さくなって来ているそうですね。
それどころか 淡路島全体の砂浜が亡くなってきていると
言われています。

一体どうなるのか。。。

Commented by je2luz at 2011-10-05 12:59
minato さっbへ
 ***
 ダムで硫化の減った砂利を鵜殿の突き出し港で沖に追いやっていますからねえ…
 こうした事業に対しては例え下流でもクレームを付けられないのが今の制度です。
 それに、こうした事にクレームを付ける穂ともほとんど居ないのが現状です。
 浜が無くなるまで無言ですね。
 家のこたつで入っているのかも知れませんが…
Commented by minato at 2011-10-05 18:13 x
もはや、鵜殿から井田、御浜にかけて浜はないですね。
熊野もずいぶん無くなっていますね。
有馬保育所の裏の防波堤の防潮扉も
常時締めて置いて欲しいものです。
津波が来れば、保育所だけでなく
有馬が波に襲われます。
Commented by エキサイト at 2011-10-14 17:40 x
有馬方面に関してのコメントresもお願いします
Commented by je2luz at 2011-10-14 20:55
minato さんへ
 ***
 今回の洪水で熊野川河口も石がなくなり大きく変貌しました。
 これからしばらくは急速な浜の減少が予測されます。
 井田では一応「潜堤」が計画されていますが鵜殿港が近すぎて養浜の方の効果は出ないでしょうね。

 堤防通路の閉鎖は木本では計画中ですが浜にも行かない人が反対したりして進みにくいのです。
 浜への出入り用の階段を堤防に付けないと…
 南郡の方では閉めてきているのですが…

 何しろ津波では逃げなくて良いという市長ですから、私とか消防団は苦労します。
 目下、堤防の管理者の県と直接話し合い中です。

 市長は東大出の元高級官僚なので市民よりお上、老人より観光なのです。
 困ったものです。
 逆らう人間はほとんど居なかったものいけないのです。
 私のようなものは議員として要らないと判断したのも熊野市民でしたからね。
 11年のブランクの間に「天狗」になり「将軍様」に成ってしまって、浪人上がりの一匹が立ち向かうのは大変です。
 まあ、怖いものが無いのでがんばりますけどね。


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