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LUZの熊野古道案内

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2011年 06月 09日

熊野の旅 百姓 今・昔

 今は昔・・・ と、言っても、私が実際に見たのは昭和でも戦後の昭和です。
 爺さんから聞いたりしたのも、明治の終わりから昭和戦前戦中の話です。
 「奥熊野代官所」なんてのがある時代は文献の世界です。
 だから、そんなに昔の事を知っている訳ではありません。

 工業が「産業革命」の時期に大変革を遂げ、社会構造まで変えて行ったのですが、日本の農業・百姓は昭和30年代頃に大きく変わりました。
 戦後すぐの『新生活運動』で少し変わりかけた生活様式も、百姓仕事の大変革がなければ台所の改造で終わったでしょうね。
 耕運機の普及で農家から「牛」が居なくなりました。
 「牛」が居なくなることで「口のあるもの」が居なくなり、農家の嫁さんたちは、農閑期に家に縛り付けられることが減りました。
 そのあたりから「ノーキョー」の旅行が流行りだしたのです。
 稲刈り機ーコンバインーハーベスタなどと進化し、田植え機も一条植えー三条植えなんて進んできました。
 田の畦刈りもしゃがみこんで一日中駆り続ける女の仕事から草刈機になりました。
 苗育ても、冷たい苗代に入っての作業が陸上での箱育苗になりました。
 随分省力化が進みました。
 でも、会計的には米で上がった収益のほとんど全部…小規模農家ではそれでは足りず他の仕事で稼いだ分まで農機具代で消えたのです。
 農協で買うか農機具屋で買うか… どっちにしても百姓に金を貸してくれるのは「農協」だけですから日本中の農協が一時期は大きくなったのです。

 このように変化してきた農家の姿も平成に入る前くらいからは又々変化しているようです。
 小さな農家はもはや立ち行かない…
 いや、小さな農村は消える方向でしょう。
 行政面では平成の大合併で何百もの田舎の町村がすでに消えていますね。

 省力化で田圃に出ている百姓さんの姿を見かけなくなったのはよいのですが、今度は何も植わっていないから人も居ない・・・てことが起きてきています。
 昼日中に「鹿」なんて見かけるようになったのでは…

 『山の奥にも 鹿ぞ啼くなり』
 これならよいのですが、「〇〇市」なんて名前のところで鹿が啼くようではねえ。
 神戸市は先進地ですから町中を猪が駆け回っているとか…

 『吾がいほは 都の辰巳 鹿ぞ住む 世をうじやまと 人のいうなり』
 都の辰巳だけではなく東西南北何処でもこんなになっていますね。
 でも、都人は 「鹿が見られるなんて素敵ね・・・」と言うのでしょうね。
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 長靴を履いて田植えなんてなかったですね。
 最初に足を入れたときのあのグニューッとした泥の感触…不思議なものです。
 今のお百姓さんの足の裏は柔らかいのでしょうね。
 ???
 柔らかい年の人が減ったのが問題なのですよね?

   カメラはミノルタ・オートコードL


熊野市周辺地図です
 

by je2luz | 2011-06-09 09:52 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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