産田神社は産田川のほとりにあります。
と言うより、産田川は産田神社のそばにあります。
神社の名前が「産田」だし、言われもここでイザナミ(伊弉冉、伊邪那美、伊弉弥)がお産したのですから、川の名前より先に「お産」があったのでしょうね。
江戸っ子は「神田上水」で産湯を使ったと自慢したようですが、火の神カグツチ(軻遇突智・迦具土神)はこの川で産湯を使ったのでしょう。
日本の神様の名前は大和言葉の古いものらしく、わけの分からないものが多いし、文字・漢字が入ってきて書き記す時に苦労したらしく、複数表記になっているものが多いですね。
表意文字ですが、無理矢理表音文字にしてあるものは、北海道のアイヌ語の地名を漢字にしたようなものですね。
つまり、当て字なんですからこれが正しいなんてがたがた言うのもおかしな話です。
いまのアニメの世界と良く似たもの…などと言うと神道の人には叱られるでしょうね。
アメリカでも「天地創造説」を信じて学校にも行かさないとか言う人がいるようですが、アメリカほどでは無いですが、日本にも「古神道」・「神話」を信じている人も居るようです。
神話って世界中で良く似たものがあったりしますから、人間の心理として共通な部分もあるのでしょう。
神話を歴史として利用するのは古代の国家、支配者の手法だそうです。
近代でも戦前には日本でも利用されていましたけどね。
日本の始まり…
熊野にしても高千穂にしても、どうしてかくも放り出されたのでしょうね?
やっぱり、平野もなく、食糧の増産もかなわず勢力拡大に向かなかったからでしょうね。
でも、ふるさとを思う気持ちってなかったのでしょうか?
古代に「ふるさと納税」があったら…
さぞかし、熊野の国・有馬には巨大な神社も出来ていたでしょう。
出雲に負けない大社殿を建てる木材には事欠かない所ですからね。
さすれば・・・
ここは熊野三山におまいりする「参詣道の途中」ではなく、熊野三山の上に君臨する「世界文化遺産」の主役だったかもしれません。
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