私たちの世代から見ると、「JA」と言うのは「農業協同組合」で本来、百姓の物です。
しかし、『JA』なんて名乗った頃にはその名前のように「農協」隠しに走り出しました。
農村の高齢化、農業の衰退、後継者の離農、農産物輸入自由化…
色々あるでしょうけど、JAは自らの組織の延命だけを考える団体になっています。
ここ熊野市でも、各村の農協が合併し「熊野市農協」になった頃は、まだ地域に密着しているし、地域の人も
なにやかやと利用していました。
手詰まりに成りかけたときに、「葬儀部門」を開設し、「赤ん坊は生まれなくても葬式だけは当分続く…」と言うことで、この部門は大きくなりました。
田舎では「農協支所」が一杯ありましたから、事実上の営業員が配置されているし、その親戚は他へ頼めないし…
それに、「村」の機能が低下してきたので自宅での葬儀も減って、ますます商売繁盛になったのです。
今では中心部の有馬町に市内で一番大きな斎場を持っています。
「熊野市農協」は南牟婁郡と合併し「JA南紀」とやらになっています。
「JA」って、「J]はJAPANで、{A」はagriculture だったように思いますが…
かつて、田舎の農協は細かく支所を配置し、肥料・農薬の販売、営農指導、金融、そして「購買部」と言われる売店を運営し、山間部の生活も支えてきたのです。
近年は休耕・廃耕の農地は増えるし、老齢化と人口減少で購買部に人は来なくなるし・・・お金を預けたり借りたりするような「働く百姓」は居なくなるし…
この支所の維持が重荷になってきたのも確かです。
と、言うことで…
市内の農協支所の全面閉鎖が通告されました。
これは全国の流れのようですね。
農協も全国組織上部団体の意向が大きいですからね。
細かいややこしいものを切り捨てて、政府関係の金をトンネルして稼ごうと言う組織になっている感じです。
何かと言うと、「農協」が百姓の代表として扱われていますが、実態は????
熊野市でも農協支所の閉鎖が始まりました。
しかし、売れていないと言っても、なくなると集落にお店がなくなるところも多いのです。
写真は熊野市神川町の旧・農協神川支所の後を引き受けて、個人商店が4月から営業を始めたものです。
店主さんは、「五年は頑張らんと…」と言っていますが、その五年間、地元のお年寄りたちがこのお店を支えて呉れればよいのですがねえ…
そして、まだまだ若い店主さんですからその先も「飯が食える商売」でないと困ります。
限界集落寸前の地域ですから、こうしたものがやって行けないと、一気に廃集落に進みかねません。
頑張れ、「今中商店」!
熊野市周辺地図です