LUZの熊野古道案内

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2011年 04月 11日

熊野の旅 七里御浜 木本堤防の想定内 3

 大昔から、台風や津波と戦ってきた…
 いや、延々と泣かされて来た木本の町です。
 随分昔の古文書にも「大風」「津波」の記載が並び、被害が記載されているようです。
 記録がほとんど無いのが、昭和19年。1944年の東南海地震くらいのものです。
 この、記録の欠落は軍部による報道管制、記録の削除、写真の没収によるものです。

 戦後になってからは、堤防の構築を本格的に始めたのですが、基準の甘さから、「伊勢湾台風」に耐えられませんでした。
 幸いなことに、木本では町の南半分の風の当る地区では屋根瓦がほぼ全部剥がされ道が瓦で舗装されたようになりましたが、高波の被害は、今の国道部分にあった小さめの民家と物置程度ですみ、人命に関わるまでは行きませんでした。
 市内でも甫母町などはほぼ全滅する被害があったのですけどね。
 そして、この「伊勢湾台風」の後にも堤防のかさ上げなどが行われ、そして、新堤防…
 でも、これも「想定の範囲」が甘かったので波が越え、沖合いに潜堤構築…
 ようやく、「台風の高波」に対するそなえは、全国でも上位に位置するだろうというところまで来ました。

 でも、こうして高潮対策に長年血道をあげてきた私でも、『津波に関する想定範囲』が甘い事を知らされました。
 私にとっての津波の想定は、記録のほとんど無い「東南海地震」の津波が基準だったのです。
 この津波は市内でも大泊以北の浦々を押しつぶし、尾鷲の町の半分までを飲み込んだのです。
 木本では私の隣にあった実家の離れの床下へ波が入ったとか、三丁目では今の国道の所にあった家が潰れたとかの伝承を踏まえて考えたものです。
 当時は事実上堤防はなかったし…
 それで、木本の一番浜寄りに少しだけ乗った…
 今はその浜との境に3mの高さ、海抜にすれば13mほどの堤防があるのです。
 浜を走ってのし上がった津波の到達高さが10mほどですから、津波自体は5mとか6mでしょう。
 従って、「東南海地震」より少し位大きな地震と津波でも、この木本海岸はおそらく大丈夫だろうと考えていました。
 南海地震と東南海地震は連動して起きるかもしれない…とは言われていましたが、今回のように全く同時に起きるなどと言うことは考えても居ません。
 つまり…
 想定の範囲が違ってしまいました。
 そうなると、この堤防があっても止まらないかも…
 つまり、木本も逃げるしかない…
 と言うことになりました。
 この事実を説明しても果たして何人が理解できるのか…何人が記憶してくれるのか…
 何しろ、役所自体がこの過去の事例も知らないし…
 専門家?は、いつもながら聞く耳を持たないし…
 わたしは「東大教授」とか「地震研究所所長」なんて肩書きが無いですからね。

 さて・・・
 どうしましょう???
 やれることだけはやりますけどねえ…
d0045383_1011403.jpg

 1959年、木本町布袋町裏の堤防かさ上げ工事風景です。
 生コンではなく、現場練りのコンクリートでおじさんとモンペをはいたおばさんたちが頑張っていた時代です。
 こんな写真をもっと撮っておけばよかったのですが、高校生の小遣いではフィルムもふんだんに買えませんでしたし、子供の目では「歴史の記録」なんてものは見えませんでしたからね。
 一杯撮って、目に見える記録を残してあれば説得しよいのですけどね。


熊野市周辺地図です
 

by je2luz | 2011-04-11 10:18 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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