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LUZの熊野古道案内

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2011年 03月 23日

熊野の旅 磯崎の川と浜

 熊野市の漁村の中でも磯崎は一番小さな入り江かも知れません。
 須野とか甫母などと言う小さな所もありますが、小さい成りに人口も少ないです。
 磯崎は中心の木本にも近いと言うこともあって、交通手段の少ない時代でも捕った魚を売りさばきよかったのか昔から結構人口が多かったようです。
 私が子供の頃には「磯崎」とは呼びませんでした。
 隣の「大泊」に対し、「こどまり・小泊」と呼ばれました。「古泊」と書いたのを見たこともあります。

 今でこそ漁港と言うのは埠頭があって漁船が横付けして荷揚げするものですが、漁船が近代化して大きくなるまでは岸壁ではなく「浜」の方が船の扱いには向いていたのです。
 近海・地崎の海での漁には木造の小さな和船が活躍していましたからね。
 その和船が最後まで残ったのが「地引網量」でしょうね。でも、それもほとんど消えたし…

 この磯崎は中心部まで道路で行けば3Kmあるか無いかです。
 船ではもっと近いです。
 でも、熊野古道の大吹越えからは外れるし、近代道路・新道が出来るまでは不便な所だったようです。
 そのせいだかどうだかは分かりませんが、結構訛りの強い所だったようです。
 以前、私の同僚だった大泊出身の人が良くまねをしていました。
 まねをするのは古い生粋の磯崎弁を誇張するので、私では判らない部分があるほどでした。
 まあ、訛りなんてのはこの木本でも親地町と本町のように隣り合わせでも違うくらいですからね。
 山間部の飛鳥でも隣り合わせの大又と小阪では違っていましたからね。
 それが、交通の便は良くなるし、テレビなんてのが普及するしで段々薄れていっているようです。
 それが良いのか悪いのか…

 話を磯崎に戻しますが、ここは岬の付け根にほんの少しくぼんだ所があるだけの地形です。
 今の磯崎は防波堤・岸壁と100mあるか無いかのスロープになった船上げ場所で出来た漁港です。
 でも、磯崎出身の人が言うには。「浜」も「川」もあるのだそうです。
 他所の人の眼には両方ともありません。
 でも、昔はちゃんと砂浜があり川もあったのだそうです。
 言われて探せば確かにあります。
 災害で消えたとかではなく、近代化で姿を変えたのです。
 コンクリートの船揚げ場所が「浜」なのです。かつては砂浜があったそうです。
 そして、その端っこに出てくる暗渠の下水状のが背後の山の水を集めた谷…川なのです。
 こうした箱庭のようにコンパクトな漁村が「磯崎」です。

 町はコンパクトでも、海の漁師さんの仕事場は広いですからねえ…
 でも、港が小さくて大きな船が使えなかったからでしょう、ここの漁法の主力は「ケンケン」と呼ばれるルアー・トロールです、
 左右両舷に竿を出し、ルアーを引張って走り、鰹やはまち・鯖を狙うのです。
 海には優しいですが、効率は良く無い漁法ですね。
 近代化され岸壁が出来て中くらいの漁船が接岸できるようにはなったのですが、ご多分に漏れず後継者不足…
 船を操る人の年齢も上がる一方です。

 二十年ほど前の磯崎での市長の市政懇談会で、市長が磯崎港の整備を自慢した時…
 「市長! そんなに頑張っても出来た時分には磯崎に船が無いかも知れんぜ!」と野次が飛んで会場が爆笑した事を覚えています。
 幸い、今の所船も残っていますし、水揚げもあります。
 でも、漁協は合併で熊野市一つになりました。
 三重県はこれを県で一つか二つに合併させようと躍起みたいですね。
 磯崎が磯崎で居られるのが一番なのでしょうけど…
d0045383_9431038.jpg

 この急坂の小路の下に「川」が隠れています。
 この辺の人にたずねてみたのですが、何時頃こうなったのかわかりません。
 土地が狭いので蓋をして道にしたのでしょう。
 大阪の長堀通りのようですね。(下は駐車場では無いですが…)


熊野市周辺地図です
 

by je2luz | 2011-03-23 09:46 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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