昨日、「熊野市立飛鳥小学校」の卒業式がありました。
去年の4月に旧飛鳥村の時に出来た100年を越す歴史の学校三校を統合して出来た学校です。
名前はその中の一つ、「飛鳥小学校」を名乗りましたが、場所は「日進小学校」の所です。校舎も屋内運動場も全部そのままです。
名前が革って無くても、「新・飛鳥小学校」と言う扱いです。
だから…
昨日の卒業式の、あいうえお順で一番先になった女の子が、「卒業証書第一号」を受け取りました。
ほとんどの方は、卒業式に読み上げられる自分の卒業証書の番号など覚えていないでしょうけど、「一番」などとなれば一生忘れないでしょうね。
縁起が良いかも…
この、「飛鳥小学校」も三つが統合したのに卒業した生徒は8名です。
飛鳥地区の参考が統合したので、このまま「飛鳥中学校」の入学生になるのです。
私が居た頃の飛鳥中学校の1/10の規模になったのです。
地形がこんなに複雑で集落がばらばらでなければ、もっと統合して普通の規模の学校にするべきでしょう。 しかし、新しく入ってきた紀和町を含めると、昭和の大合併のときは熊野市が8ヵ町村半、紀和町が三つか四つの村が集まったのですから、半端な地形じゃないのはお分かりかと思います。
中心部を除いて周辺部での統合は通学手段の確保でも大事です。
「落石注意」の看板だらけ、200mmとか250mm降ると通行止めになっちゃうし…山間部では雪まで降るし…
下手すると帰宅不能児童生徒が出ます。
かつては東京は水上小学校とか中学校のために寄宿舎があったこともありますけどね。
でも、このままでは教育もままならなくなります。
数が少ないですが、無事に卒業式が行われました。
この子達は、少なくともあと6年間はここに残るでしょう。
田舎では、中学や高校の卒業が本当の巣立ちになって、ほとんどが帰ってこないたびに出たのですが、そろそろ、その巣立つ子供が居なく成りかけました。
熊野市周辺地図です