先日ここに載せた「快速・熊野古道伊勢路号」のダイアに関しては、やはり、上りの出発時間が少々早いので、役所の方でもかなり交渉したようです。
「日帰りできないから宿泊する」…と、なればよいのですが…
宿泊したお客さんでもやっぱり帰りはもう少し遅い方が二日目の行動が楽になるでしょうね。
これでも、熊野市まで降りてくるダイアになっただけでも良い方だそうです。
と、言いながらも、この「快速・熊野古道伊勢路号」にどれだけお客さんが乗るのやら…
熊野古道は紀勢本線沿いにずっとあるのですが、県が三重県と和歌山県にまたがっているだけではなく、国鉄時代には「紀勢東線」「紀勢西線」に呼び名が分かれていたのですが、民営化とともに、新宮を境に「JR東海」と「JR西日本」と言う二つの会社に分かれています。
さらにはJR西日本は電化され電車なのに対し、JR東海の紀勢東線側はジーゼル・気動車区間です。
つまり、JR東海の列車は西日本側に入って何処まででも行けます。
現に、名古屋発の「特急南紀」はJR西日本側に入り込んで「紀伊勝浦」までです。
熊野古道イベントの特別列車も東海側のは西日本側まで行けますが、西日本の企画するものは新宮駅から数百メートルしかこちらには来られません。
元々は「紀伊木本・現熊野市駅」までは天王寺鉄道管理局管内の列車が走っていたのですが、紀勢線全通後段々変わって行ったのです。
紀州藩から渡会県に編入された明治の廃藩置県の影響がこんな所にもあるわけです。
「紀伊市木」「紀伊長島」などと駅名などに「紀伊」が残っていても、度会県になり、三重県になって100年・・・
すっかり、三重県・東海圏になっています。
まあ、私などは古いですから、いまだに関西圏の意識が少しありますけどね。
それはさておき、こんな分断も、熊野古道観光では少しネックになっていると思われます。
世界遺産師弟の運動が始まるときも、「和歌山・三重・奈良三県サミット」なんて会議が行われ、三つの県が連絡しあいながら動いたくらいですからね。
「道州制」が導入されると、もっと厳しく「東海州」「近畿州」に分断されるかもしれませんね。
「州警察の検問」までは行かないでしょうけどね。
熊野市周辺地図です