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LUZの熊野古道案内

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2011年 02月 27日

熊野の旅 地上の太陽は怖い

 熊野市は電力会社の供給地域の境界があります。
 私の住んでいる木本町を初め、それより南や山間部は「関西電力」で、大泊町から北の海岸線だけが「中部電力」です。
 この境の近くの「井内浦」にかつては「原子力発電所」の計画がありました。
 計画が出てくるとすぐから反対運動が起こり、ものすごい市民間の争いまで起きようかと言うところでした。
 一旦は完全に立地反対で決まったものを、ほとぼりが冷めかけた頃、推進派議員から「原発研究会立上げ」が発議され、その予算が可決されると言う事態が発生しました。
 今から25年前ですね。
 それが、私が市議選に出る原因になったのです。
 その次の春に市議選があるということなので、議会が可決したその日に「原発絶対阻止」と言うことで出馬表明したのです。
 同じ地盤の議員がその動議を出したこともあり、捨て置けない事態だったのです。
 私に続いて、反対派と組合などで、賛成派議員の膝元に反対派の候補を擁立する動きが出ました。
 こんな大きなことでも、筋金入りの推進派と言うのは少ないもので、足元に火が付いた賛成した議員・・・中間派が大騒ぎに成り、6月議会で通したものを、9月に凍結決議しました。
 しかし、これでは信用できないので、「候補地返上」を実現するまでやるため、そのまま立候補したのです。

 自分の選挙の前に、市長選。県議選があり、事実上の決定権を握る市長選で「原発拒否」の流れを作るべく、ド素人だった私が8期目を目指す現職の街頭演説の応援弁士をずっと勤めて、腹の中ではやりたいはずの現職に「皆がやりたいと言うまでわしはやらん!」と言わせることに成功しました。
 のるかそるかの大選挙になっていたので言わざるをえない雰囲気だったのも幸いしました。
 無事に現職を当選させられ、半年後に自分も議会に入った後は、ひたすら「候補地返上」をねだり続けました。
 「受ける気は無い」という議会答弁だけでは安心できないのが国策事業の原発の恐ろしさです。
 「三重県」と「中部電力」にきちんと申し込み了解させないと話に成りませんからね。
 国の方針に逆らう行動ですから、市長もそこまでやることには中々神輿を上げませんでしたが、とうとう、動いてもらえ、「熊野・井内浦原発」は候補地のリストから消えました。
 住民の懐柔策…無料の先進地視察旅行…このために駐在していた工作員も引き揚げました。
 なにしろ、ただで旅行が出来たので、市民の一割くらいは招待に応じていたようです。
 買収にはならないのでしょうが、恐ろしい金をかけてでもやりたいのです。
 そして、紀伊半島などは「地震」を除けば、万一の事故のときに見込まれる犠牲者が取るに足らないほどしかいませんから、芦浜・熊野・日置とずらりと並ぶ構想になったのです。

 この原発は全部凍結、芦浜も三重県知事の拒否宣言で消えていたのですが、またぞろ息を吹き返してきました。
 環境に優しいのも理解できますが、今の人間の力では制御しかねるのが原子力です。
 イスカンダルが存在し、「放射能除去装置」が手に入るのなら別ですけどね。
 さらに、日本の原子力行政と現場の体質は全く信用できませんね。
 現場の従事者…建設から管理まで…には原子力の恐ろしさを教えないでやらせている…
 溶接なども手を抜いたり、材質がおかしかったり・・・高濃度の廃液をバケツで汲んでヒチャクでかき回したり…
 とても、信じられるものでは無いです。
 
 たまたま、議会に舞い戻った時期にこれが出てきたのも何かの因縁でしょう。
 最初の時、「目の黒いうちは作らせない!」と言ったのですが、もう先が長くないのでこれでは足りませんね。
 「化けて出てでも作らせない!」と言うことになります。

 いまは、候補地としての名前は出ていません。
 しかし、「芦浜に作る」とも言いません。
 かつての候補地としての資料もあるでしょう。
 人口も1/3ほど減っています。
 再浮上してもおかしくないのです。
熊野の旅 地上の太陽は怖い_d0045383_1059467.jpg

 産田さんで「火の神」を産んだのだそうですが、原発と言う「人間の作る太陽」はいりません。
 焼き殺されて花の窟神社のそばに葬ってもらっても嬉しく無いです。
 日本書紀に載るどころか、小さな事故だと、事故自体が抹殺されるのが国策事業です。


熊野市周辺地図です
 

by je2luz | 2011-02-27 10:59 | 熊野


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