この町の郊外・ほんの数キロの所に飛行場があります。
おそらく今の飛行場以上に広い面積の米軍基地があって、「ランボー」に出てくるような「攻撃ヘリ」がうじゃうじゃ居たのでしょう。
資材を陸揚げしたであろう砂浜は、今では「チャイナ・ビーチ」なんて名前になって大型の高級・大型リゾートホテルの建設ラッシュです。
大きなビルから、コテージ風のものまでを抱えた立派なもので、目の前がビーチになっています。
出来上がれば、外人さんがたくさん宿泊するのでしょうね。
まあ、私の場合は出来ていても値段交渉にも行きませんけどね。
といっても、日本と違い円で言えば、一万とか二万の話なんだと思います。
飛行機の切符もマレーシアまで5000円なんてのが出てるのですから、東京から南紀に来て熊野の「里創人・くまの倶楽部」なんて所に一人二万円も払うよりは安いでしょうね。
バリ島でもこの「くまの倶楽部」くらいのホテルは2000円とかですからね。
為替と言うものと、物価の違いを抜きにして観光振興などといっても、今の時代は感覚がずれているとしか見えません。
こんな爺さんでも、ベトナムを歩き回る時代ですからね。
ダナン・Da Nangは、目下開発中と言う、リゾート地・観光地ですが気候的には冬がなく、秋と春と夏だけの所です。
サイゴンのように年中夏よりは変化があって良いでしょうね。
ここの海は「南シナ海」になります。
街の中にはベトナムらしく大きな市場が二つもあります。
おそらく外れの方にはもっとあるのかと思いますが、歩いてゆける範囲にも二つあって、押すな押すなの人出です。
ハノイと少し違うのは、「バナナの葉っぱ」を売っている人が多いです。
だいぶん南になって、いたるところにバナナの木が生えているのですから、料理にも良く使うのでしょうね。
半端な量じゃないのを売っていますからね。
もちろん、バナナだとかドリアだとか南方の果物が並んでいるし。北の山岳地帯や中国から入ってくるりんごの類も並んでいるし…果物は豊富です。
一人で買って帰って食べられるような量ではないので、買いませんでしたが、よほど欲しそうな顔をしていたのか、あちこちの八百屋の伯母さんが呉れました。
どう見ても、「いけ面」だから呉れたのではなく、「飢えた日本人」に見えたようです。
とにかく女の人は優しいです。
太平洋戦争の後で、日本兵が一杯ベトナムに残ったのも理解できるような気がします。
それにしても。道端で「バナナの葉っぱ」だけを売ったり、「ふかし芋」などをほんの少し籠に入れて天秤棒で担いで売って歩いたり…
結構売れているし、町は活気であふれていますが、あれで食わなくてはならないのですから大変でしょうね。
私が東京に出た昭和30年代の後半、日本でも「担ぎ屋」「カンカラ部隊」なんて呼ばれるおばさんが「総武線」などで東京に来ていましたが、あの人たちの担いでくる量は生半可なものではなかったですね。
その辺りが、南方気質と日本人の違いなのでしょうかね。
市場の中とかには安い屋台が並んでいますが、南の方に来ると道端の露天の食堂は減ってきます。
無許可に近いような道端の店の方が絶対に安いのですけどね。
ちゃんとした料理は南と北では違うのでしょうが、こうした屋台的なところでは相変わらず「ベトナムうどん」が主力です。
トッピングが少し変わったようにも思いますが、良く分かりません。
水道など無いのでいつ洗ったか分からないような生野菜を放り込んだ「うどん」を食べ続けましたが、コレラにも赤痢にも成りませんでした。
ベトナムの地図です