LUZの熊野古道案内

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2010年 12月 06日

熊野の旅 熊野の中の郷人会 飛鳥人会

 交通が不便だった頃…
 山間部から町に働きに出た人たち…
 中学校も女学校も町にしかありませんし、奉公先も町にしかなかったのです。
 そんな昭和2年とかに、この地方の中心の町に、「飛鳥人会」と言うのが生まれたのだそうです。
 その人たちの出身地は「飛鳥村」です。
 近いところで山越えで10km、遠いところで15kmほどなのですが、遠かったのでしょうね。
 それに、いまでも飛鳥の辺りは木本の人にとっては「奥」なのです。
 「奥へ行く」「奥の人」と言われるくらいですから、山間部の入り口なのに僻地扱いされたのかもしれません。
 しかし、この木本と言う町では、飛鳥とか五郷とか山間部から出てきた人が結構幅を利かせていたのです。
 何しろ、この地方の財産と言うのは「山」でしたから、山の無い町の人より山の人の方がある意味では恵まれていたのです。
 その両方で、「飛鳥人会」なんてのが出来たのでしょうね。

 今の役員さんが持っているふみ箱の中には設立以来の書類が揃っているそうです。
 それなら、多分、私の祖父も親父の名前もあるのだと思います。
 こんな任意団体できちんと古い書類まで残っているのも数少ないと思います。
 桜井市には、この周辺の出身者で作る「みはま会」と言うのと、更に狭く、飛鳥村出身の「飛鳥郷人会」があるとか言います。
 でも、近年では飛鳥から桜井へ就職で出てゆく子供もありませんから成り立たなくなるでしょうね。

 この地元の「飛鳥人会」でも今の若い人の出席はありません。
 今では道も良くなり時間も掛からず、「奥」なんて感覚も無いですからね。
 「奥から出てきて木本や井戸に住み着いた」なんて意識も無いでしょう。
 と、言う私にもありませんけどね。
 私の家は元々飛鳥と木本に家があり、私は中学卒業までは飛鳥に居ましたが、通学もバスが45分もかかるので高校1年の2学期からは木本に住み着きました。
 東京から帰っても、一年だけ飛鳥に住んだだけで今の家を建てて木本にすんでいるので薄いのかもしれません。
 それに、親友に、「お前は世が世なら満州で馬賊になっていたかも知れん」と言われるように、自由に動く方ですしね。
 馬賊にも東京人にもなれず、老後はインドネシアで…と言うのもできず…
 熊野に住んで、議員などやり、郷人会にも出席し…
 適応力があるのやら、いい加減なのやら…
 あと10年ほど自由に生きたいです。
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 今回の「飛鳥人会」は6年ぶりなのだそうです。
 こんなに飛ばすと、次を楽しみにできないと言うことで、今度は2年先だそうです。
 二年先なら、ほとんどの人は出席可能でしょう。

  こんなブログも書いています◆
   ★更新しました★
   


熊野市周辺地図です
 

by je2luz | 2010-12-06 09:34 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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