LUZの熊野古道案内

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2010年 11月 29日

熊野の旅 井戸の祭り 下の大馬神社 2

 井戸町の続きです。
 井戸は田圃が多い…それも、低地で洪水のたびに浸かってしまう所が多かったです。
 農地としては不適当な面もあったからでしょう、水田なのにどんどん埋め立てられました。
 埋めた後には拾い宅地が出現し、「赤阪」「丸山」「井土」などと言う町が出来たのです。
 旧来の井戸と言うのは「松田地」松原」「紺屋地」などと言う山のすそに張り付いた集落だけだったのです。
 もう、昔の井戸をおぼえている人も減ったでしょうね。
 最初の駅前の沼地の埋め立て、今の丸山町を作ったのは私が中学の頃で、完成して家が建ち始めたのは伊勢湾台風のときです。これを覚えているのは、伊勢湾台風で熊野市駅周辺が水浸しになったとき、新築の家の一階部分がほぼ水没し、壁が落ちたりしたのを見たからです。
 私がニコンFを手にする3日前の話です。

 まあ、そんな成り立ちの井戸町ですから、新町民は埋め立てて出来た真ん中に住み、旧住民はそれを取り囲むように山手と海側に住んでいます。
 開発が始まって半世紀、だんだん、旧住民と新町民の区別が分からなくなりました。
 近くに住む私などでも、苗字を聞くと推測できる程度です。
 田舎ですし、そんなに遠くから引っ越してくる人も居ないですから、苗字で井戸の人、浜筋の人、志原尻の人、飛鳥の人、五郷の人、南郡の人・・・なんて推測するのです。
 これも、昭和の初期頃からの人口移動で段々分からなくなって、先祖様を推測するようなものです。
 本人の方が先祖が何処の出か知れないことが多くなってきているのは全国的なことなのでしょうね。
 そのうち、アメリカのアフリカ系の人たちのように、自分たちの先祖探しがブームになるかもしれませんね。

 前回の写真の下のものは旧住民の多い「松原」の出し物です。
 今日は上のが旧住民の多い「松田地」のものです。
d0045383_13254832.jpg

 こっちは「丸山町」かな?
 同じ法被を着た、熊野名物、「駅前のジュリー」が写ったカットがありますからね。
d0045383_13305100.jpg

 ???
 熊野名物「駅前のジュリー」に会いたいっつて???
 会いたい方は、熊野市駅前の書店に行ってください。
 そこのご主人が「駅前のジュリー」です。
 これは「自称」ですし、本人が名乗ってから随分の月日が流れていますからねえ…
 残念ながら近年の写真しか無いのでジュリーに似ていたかどうかは立証できません。
 論より証拠、ぜひ熊野古道歩きに来て、会って見てください。
 熊野古道の薀蓄も結構学習したようです。
 お客様次第では案内してくれるかもしれません。
 ただし、私同様、「面接重視」になるでしょうね。
 本人の許可が出れば、「その後のジュリー」の写真は載せられるのですが…

    こんなブログも書いています◆ ◆
   ★★
   


熊野市周辺地図です
 

by je2luz | 2010-11-29 13:40 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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