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LUZの熊野古道案内

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2010年 11月 28日

熊野の旅 井戸の祭り 下の大馬神社

 井戸町は旧有井村の半分を占める地区で、田圃の広がる田舎でした。
 戦後、その田圃が次々と埋め立てられて住宅地に変わって行きました。
 熊野市駅の裏が埋め立てられたのが最初でした、
 当時は井戸川の河口が閉塞して台風や豪雨になると田圃が浸かって湖状態になったものです。
 私がアマチュア無線で頑張っていた頃、「熊野市です」と言うと、「ああ、駅の裏に湖のあるところですね」などといわれたのが何回もあります。
 それ程のべつ浸かったのです。
 いまではその対岸も埋め立てられ上流に掛けては井戸小学校の用地造成をかねて埋め立てられ…田圃はかつての1/4も無いと思います。
 このように拾い宅地が造成され、元は狭い木本町にあった、県事務所、警察。職安、裁判所、郵便局などの公共施設も引っ越して行ったのです。
 分譲した住宅も建てられ、人も移動して行きました。
 この分譲が始まった頃には人口の減少が始まっていたのですが、「核家族化」と「田舎離れ」がこうした住宅需要を支えていたのです。
 もう一つは、日本の「土地神話」ですね。
 「土地は財産、持っていれば上がる」と言うものです。
 熊野には「大金持ち」は居ません。「小金持ち」は居ますから、土地を買うだけ買って…と言うのが結構あったのでいまだに手付かずの土地が残っています。最初の分譲は私が東京時代・・・昭和40年ごろなんでしょうかね。
 それでも、井戸町は驚異的に人口が杖増した。
 今ではそうして移り住んだ、分家した跡継ぎなどの人も初老から老人になってきています。そして、その家が更なる「核家族化」しても、出来る家は熊野ではなくなっています。
 大阪千里と同様文化住宅の廃棄家屋が増えようとしています。
 そして、土地神話は崩れ「土地は下がるもの」になっているようです。でも、「土地神話」を信じる人、信じたい人はまだまだ居るようですね。

 それでも、熊野市では子供も多い井戸町ですし、範囲も広いですからお祭りは結構大きくなったようです。
 各町内から繰り出してくる出し物が子供中心と言うのも、新興住宅地だったからでしょうね。
 木本の祭りでも子供中心ですが、井戸の方が大人はうんと脇役になっているようです。
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 ほかと違い、浦安の舞の舞姫もまだ豊富なようです。
 候補者が多ければ「いやいや」と言う子も少ないでしょう。なんだかすごく愛嬌が良い子が多かったですね。
 今付き添っている親がようやくここの今の祭りを経験して育った年代のようですね。
 祭りの出し物を作って町内をまとめてゆく団地などでもある手法が定着したようです。
 都会より良いのは、人口の流動性が低いことでしょう。

    こんなブログも書いています◆ ◆
   ★★
   


熊野市周辺地図です
 

by je2luz | 2010-11-28 11:33 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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