昭和の時代、国がやった「パイロット事業」はあまり成功例が無いとも言われたものです。
ここでは、熊野市と御浜町の一部にまたがる「金山パイロット柑橘園」と御浜町の同じような「パイロット蜜柑園がありました。
先にやった「金山パイロット」も出来た時には、全国的な「蜜柑余り」にの時代に入っていて経営的には苦労しました。
後の方の「御浜町蜜柑園」の方などは、延々とかかって工事しているうちに、「温州みかん」はどうしようもないほど生産過剰になっていたので、出来たところに植えても良いのは「甘夏」などの晩柑類と言うひどいものでした。
売りよい「温州みかん」でも駄目なのに、「晩柑」では端から経営できないのが分かったようなものでした。
こうして、雑木山をゴルフ場張りに削って造成した「国営パイロット」と言う名の広大な蜜柑畑も、「減反」と言う政策で蜜柑を切り倒しました。一部は梅を植えたりしていました。
でも、基本的には荒れる農地が増えていったのです。
この「国営パイロット」に目をつけたのが「リゾート法」です。
一旦はつぶれた企画ですが、息を吹き返して蜜柑園が「里創人・熊野倶楽部」なんてのになりました。
そして、分譲団地が出来て、工業団地が出来て…
高規格道路「尾鷲熊野道路」の工事で出てくるトンネルの残土でどんどん埋め立てられて行き、今度は追加で梅に転作していた辺りの谷が全部埋められます。
一億ほどの買収費で蜜柑園が消えるのです。すごいですねえ…
トンネルのズリで埋めても、地目は「農地」は農地、「雑種地」は雑種地なんだそうです。
十年は草も生えないほど痩せた石の砕いたので作る畑も、我が市の偉い人は、「礫の方が果樹を育てるのに向いている」とおっしゃいます。
元のパイロットが「痩せた土地でどれだけ苦労したか」なんてのは分からないのでしょうね。
元居た農林省などには立派な成功例の報告が上がっていたでしょうからね。
と言うことで、昭和に国営で作った農園が再び官費で埋め立てられ公園と体験農場になる予定だそうです。
おそらく、市民など近づかない公園でしょう。
なんだか、色んな施設も作るそうな…
でも、市民は無関心だし…人の金だし…
出来てから文句は言いますけどね。
問題提起には乗って来ません。
無関心が全ての始まりなんですが…
こんなブログもはじめました。
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