LUZの熊野古道案内

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2010年 10月 28日

熊野の旅 七里御浜 浜街道

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 写真はJR紀勢本線阿田和駅の新宮よりです。
 後ろはるか遠くに山が見えています。
 ワイドレンズとはいえ随分広い平野に見えますが、あの山まで15Kmほどあります。
 この方向に見るのは、七里御浜を長い方向に見ていることになります。
 右側は300mほどで海岸です。
 左側は100mも無いところから山の端っこの岡になります。
 つまり、平野では無いのですけどね。
 それでも、熊野古道・伊勢道・浜街道・御浜街道はその長手の方向に歩きますから、七里の間は平坦です。
 川を渡るのが大変なだけで、他は「東人・あずまびと」の熊野詣の道中、紀州路に入ってからでは一番楽な道です。
 鉄道も道路もこの区間にはトンネルがなくなだらかな起伏があるだけです。

 かつてはこの貨物列車の後ろに小さく見えている「阿田和駅」では無蓋車の貨車が一杯並んでいたのです。
 トム・トラ・トサ・トキ…なんて名前を聞いて意味が分かるのは古い鉄道マニアですね。
 今ならダンピング装置の付いた専用貨車なのでしょうが、その頃は「石原産業」のマークの入った専用貨車でも普通の無蓋車でしたね。
 積むのはホッパーから落としていましたが、ならすのは「じょれん」と「スコップ」でしたね。北朝鮮の土木現場みたいなのが半世紀前には行われていたのです。

 この列車は「紀州製紙」の専用貨物列車です。
 戦後になり、まだ鉱山が盛んな頃には鉱石を積んだ無蓋車とともに、外材を積んだ無蓋車と漂白剤などを積んだタンク車が一杯通りました。
 「紀州製紙」「本州製紙」「巴川製紙」三つもあった製紙会社向けです。
 そして…
 その列車に乗って、「松くい虫・松の根線虫」がやってきたのです。
 「松の無い有馬松原」を作り出し、段々山の上の松まで枯らして、秋の味覚のマツタケをなくしたのです。
 外来生物で早くから日本の生態系を破壊し、目立ったのが「松くい虫」「松枯れ」だったのですが、結局は何の対策も講じられずに広がってしまいました。

 「マツタケの一杯入ったすき焼き」「炭火で焼きながら食べるマツタケ」…
 アメリカさんを恨みます。

 天秤棒で前後につけた「目籠」に山積みして、「マツタケ」を市木辺りのおじさんが売り歩いていたものですよ。
 いまなら、それが売れたら数百万円でしょうね。
 恐ろしくて、夜道を空の目籠を持って浜街道は帰れないでしょうね。
 毎日、「ガードマン」に護衛してもらわなくては…
 でも、そんだけ採れたのですから、当時は庶民でも買えたのですし、襲われる心配どころか歩いて帰る足取りが軽いほどの売り上げにも成らなかったのかも知れません。

 マツタケのそんな食い方をした最後の世代なのかもしれません。

 こんなブログもはじめました。
 ★★
   


熊野市周辺地図です
 

by je2luz | 2010-10-28 10:02 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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