LUZの熊野古道案内

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2010年 10月 15日

熊野の旅 阿田和 庚申様

 この周辺では木本についで大きかった町が南牟婁郡御浜町阿田和(旧阿田和村)でしょう。
 古くからの銅山の「入鹿銅山」の鉱石が風伝峠越えで運び出されたのがこの「阿田和」なのです。
 鉄道が引かれてからは、鉄路で搬出され、鉱山から阿田和駅までは「索道」が引かれて休みなく鉱石を運んでいました。
 「索道」はケーブルでゴンドラの変わりにドラム缶を縦半分に切ったようなものがぶら下がっていて、阿田和の駅にあった巨大はホッパーのところで、ガチャンとひっくり返って中身をおろしていたものです。
 戦前から戦時中には大増産され、強制連行の朝鮮人とかイギリス軍の捕虜まで動員されて、入鹿周辺の人口も一万人を越えていたそうです。
 人の動きは、「尾呂志街道」と呼ばれる尾呂志川を遡り、風伝峠を越える道で行われていました。
 「尾呂志街道」の浜街道(今の国道42号線)との分かれ道は、国鉄阿田和駅と阿田和の町並みをはさんで500mほど南になります。
 阿田和の町はこの鉱山の入り口と言うことで宿屋もありお店も並んで賑やかだったのです。

 その「尾呂志街道」が山に向かってすぐのところ、鉄道の踏切を越えたところに小さな林があります。
 その中には「庚申様」が祀られています。
 この辺りには「庚申様」が結構多き祀られているのですが、この庚申様はいつも綺麗に掃除さtれて居ます。
 最近ここを通ることが多いので感心していたのですが、先日、掃除しているおばあさんを見かけたので話しかけてみました。
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 このおばあさんや近所の人で毎日掃除しているのだそうです。
 ちゃんとした神社でさえ毎日の掃除がされない時代になってきているのに、感心なことですね。
 この庚申様も、「失せ物」「失踪人」を探してくれるそうです。
 私の育った飛鳥町小阪の庚申様も、探し物を頼む時は縄でぐるぐる巻きにしておきますが、この阿田和の庚申様も同じように縄で縛るのだそうです。
 無事に見つけてくれたときは解いて、お供えもして感謝するのだそうです。
 なんとも、神様を縛っちゃって、「自由になりたかったら見つけて来い!」とは、面白い民間信仰ですね。
 小阪でもそうですが、ここの庚申様も良く見つけてくれるそうです。
 神社のように社務所があって神主さんが居る訳ではないので、自分で縛って自分で解くことになりますし、御礼のお供えも当然「現物のお供え」になりますよね。大層なお供えは出来ないでしょう。
 その分、こうして後々まで大切にしてもらえるのかもしれませんね。

 なんだか、もうすぐこの庚申様の祭だそうです。
 人が集まって、餅も撒いて…
 「兄さんも来るかの?」と言われましたが、土曜日とかなので「これそうにないよ」と答えました。
 おばあさん、「そんなら、餅を残しといたる月曜日にでもこいや」となんとも親切な話でした。
 初対面の人ですけどね。
 最初に、「兄さん、何処の人じゃらえ?」・・・「元は飛鳥で今は木本じゃよ」という会話があったのですけどね。
 さすがに隣の御浜町になると私を知っている人もわずかしか居ませんからね。

 庚申様を昔のように守ってゆけるところですから、昔のような親切な人も残っているのでしょうね。
 尾呂志街道を行き来した人の多くは「鉱夫」さんだった筈だし、その昔は「無宿者」も送り込まれたでしょうにね。

そうそう…
 お仕舞いには供えたばかりのミカンをお下がりでもらって帰りました。

 こんなブログもはじめました。
 ★★
   


熊野市周辺地図です
 

by je2luz | 2010-10-15 10:49 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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