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LUZの熊野古道案内

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2010年 10月 06日

熊野の旅 有馬町口有馬

 熊野市有馬町は日本書紀にも出てくる地名らしいですから、随分古くから人が住み、地名も知られていたようです。
 なんと言っても、「花の窟神社」と「産田神社」があるのですからね。
 大々的な発行津などはされていないよですが、昔から縄文式だかの土器など出てくるようです。
 前に海があり、後ろに沼地がある有馬は人が住み着くには良かったのでしょう。

 古文書が残る頃になると、いわゆる「豪族」が支配していたようです。しかし、農地もそんなに広く作れる訳でもないので勢力はそんなに大きくなれず、「戦国大名」などにはなれなかったようですね。
 ただ、有馬の豪族はけんかが好きだったのかこの近辺ではいざこざのたびに顔を出している感じです。
 水田の作りにくいこの周辺の中では、産田川沿いの湿地帯があった分、勢力が大きかったのかもしれません。
 近代になると、湿地帯で冠水する水田は広い割りに厄介な田圃扱いですけどね。

 こんな風に今の人間が考える生活の適地と古代人の考える適地には差があるようです。
 人間の力で自然を支配しようとする近代人と、自然をそのまま受け入れる古代人の差でしょうね。
 それだけに、「古代信仰」ー「中世信仰」ー「現代信仰」と、信仰のスタイルも変わってきたのでしょう。
 熊野の信仰は古代信仰の色を残すものgは多くあります。
 拝もうにも立派な社殿や仏様は無いし…
 素直な人、少しばかり感受性の強い人には素晴らしいところなのでしょうが、『世界遺産だから…』とか『有名だから…』と言う風にしか捕らえられない人も居るでしょうね。
 でも、そんな人の方が、『素晴らしかったわよ!』と、帰ってから宣伝してくれるのかもしれません。
 『何となく、何かを感じ取った人』が本当の熊野に触れた人と言うことでも、感想を述べにくいですからね。
 
 受け止め方が色々あるから熊野らしいのです。
 でも、パンフレットには具体的に書かなくてはいけませんしね。
 その類のパンフレット的概念に固定されてしまわないことを願うだけです。
d0045383_9315091.jpg

 口有馬でみつけた塀です。
 下の土台から見るとそんなに古いものでもなさそうですが、手間ひまの掛かる塀ですから新しいものでも無いですね。
 普通の百姓家のようですが、昔はどうだったのでしょう?
 生垣の多かった有馬ですが、近年は道幅を確保するために厚みの無いブロック米になってしまったところが多いです。
 こんなのが残っているのは貴重なのかもしれません。
 
 こんなブログもはじめました。
 ★更新しました★
   


熊野市周辺地図です
 

by je2luz | 2010-10-06 09:53 | 熊野 | Trackback | Comments(2)
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Commented by ピロリン at 2010-10-14 19:01 x
石積みの塀は熊野らしい感じがします。あまり他の地域でみかけない気がします。山間部で家がなくなっていても猪垣でない立派な石積み塀(?)が残っていて驚かされたりします。歴史写真集か何かで、どこかの学校のグラウンドの塀も石垣だったのにも驚きました。ここのは瓦屋根まで付いていますね。
Commented by je2luz at 2010-10-16 12:05
ピロリン さんへ
 ***
 前市長の時に出された観光ビジョンでは、「幽玄 神々の里」のタイトルのもと、飛鳥などのサブタイトルが「石垣うんうん」と言うものでした。
 家の格にあわせて石垣を積んであるので、廃墟になっても「屋敷」だったことが分かりますね。
 杉林の中に埋もれて石垣の屋敷が残るなんてのが結構あります。


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