昨夜は灯篭焼きを行うお寺もありあちこちで本来の「追善盆踊り」が行われました。
地区によってはお寺が無いので墓地の近くの広場であったり、集会所になったりします。
今では、「初盆」が無い年には「盆踊り」も無くなるところもあります。
そして、深刻なのは「音頭とり」が居なくなったことです。
昔は喉が自慢の音頭とりが沢山居て、音頭の主導権争いまであったものです。
今では音頭とりの居なくなった地区ではカセットに吹き込んだ物を使っています。そして、よその地区から時間を限って音頭とりを回してもらったりします。
単純な節回し、単純な文句、単純な踊り…これが盆踊りなのですが、失われつつあります。
三箇所の盆踊りを廻ってきましたが、そのうちの二箇所は踊り手が10人ほどしか居ませんでした。
もう一箇所が20人あまりの輪が出来て少し賑わっていました。
ソーランなどなら踊る世代の女の人も、地元の盆踊りには見向きもしないようです。
「郡上踊り」とか「小原盆踊り」などになれば話は変わるようですけどね。
この辺の盆踊りの「やっさのせ」は北海道まで渡ったのですが、水害で離村した十津川の人が作った「新十津川村」だけでしたから、有名な盆踊りには入りませんからねえ…
それでも、私が子供の頃や若い頃までは、徹夜で踊っていたものです。
子供も眠くなるまでは遊び呆けていたものです。
『補導』なんて無粋なものは無かったですね。
青年団にはいろいろあったようですが、中学生とかには「不純異性交遊」なんてのは無かったようです。
過疎、老齢化が進んで盆踊りもすっかり様変わりしました。
「楽しみな盆踊り」がなくなって、「残すのに必死な盆踊り」が増えているようです。
かといって、何箇所もの盆踊りを集めようとしても、夜道を何キロも歩かせる訳には行かない年寄りばかりですからね。
「保存会」で踊る盆踊りと言うのも少しおかしい感じもします。
しかし、それでしか残らないのでしょうね。
昨夜、久しぶりに、『しむ」と言う言葉を聞きました。
『昔は踊りがしゅんで、朝まで踊ったのにのし…』と言うことです。
「しむ・染む」は「盛り上がる」、「興に入る」と言う感じですね。
音頭とりが居なくなり、10人や20人の輪では「染まない」ですよね。
熊野市周辺地図です