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LUZの熊野古道案内

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2010年 07月 14日

熊野の旅 老兵

 熊野市の中心は木ノ本町と言うことになっています。
 どこの町でも同じような傾向ですが、昔の中心街がさびれ、違う町筋が賑やかになり、その次には郊外型大型店舗によってバラバラにされて行きました。
 こんな田舎の小さな町でもその動きはやってきています。

 木本町本町通り…木本町記念通り…井戸町駅裏…有馬町国道沿いと言う風に移動し、分散化したのです。
 大型店舗だけではなく個人の店もそれに合わせて分散しています。
 つまり、「核」がないのです。
 戦後、中心が本町通りから記念通りに移った時の核は「主婦の店オークワ」だったのです。そして、本町の商店の一部もそちらに引っ越したのです。
 駅裏に人の流れが移る大きなきっかけは「ジャスコ」の進出でした。
 その頃には人口の減少も顕著になりだしていたのですが何とか形は保っていました。
 しかし、この時点でオークワもそのまま残りますから、中心が消え木本、井戸の二極化になったのです。それぞれが小さな極ですけどね。
 その後が、空き地のあった有馬町への大型店舗の出店で、ホームセンター二店舗、スーパー二店舗、家電量販店、大型薬局、衣料品安売り店二店舗、回転寿司二店舗などが、点在するにいたりました。
 人口二万、見込み客最大で3万人です。1/3以上は老人です。

 この、核のなさが色んなところで話がややこしくなる原因の一つです。
 本町、記念通り、松原、横町などの商店街が独自にイベントをやることになります。
 一生懸命やるのですが客の分散化と見る側の飽きは防げません。
 それに、本町古道通りなどは商店が数軒に減るし、店主もほぼ70代、イベントの寄り合いでも協力者の大多数が商売に関係ない人でこれも70代が主力と言う実情です。
 「止まると倒れるから…」と言う本音が出てくる悲しい現状ですね。
 もうすぐ、人口が12000人まで激減することも分かっているけど口にするのも怖い…その減る数の中に確実に自分たちが入っているからもあります。

 商店街の計画やイベントに参加するのが商売人ではない・・・
 でも、商売人以外も支えないと商店街だけでは動けない…
 町の構造上、中々、本町と記念通りが提携できないし、両方を埋めるほど客も見込めない…
 やっとこさ、提携してみようかと言う気分が少し出てきたようですがね。

 木本町を離れて山間部や海岸線の人にしてみれば、本町通りも記念通りも「木本」だし。井戸町の松原や駅裏もひっくるめて「木本へ出かける」と言うことなのです。
 でも、それぞれのところでは老兵たちが砦を守ろうとがんばり続けるのです。
 活性化ではなく生きがい対策と化してきているという見方すら出来るでしょう。
 又、非難されるでしょうけど、70代の店主の店で跡継ぎが居るのは二店舗か三店舗ですね。
 この元商店街を商店街として活性化しようと言うことが不可能な要求でしょう。まさに延命策なのです。
 コンサルタントはばら色に近いような青写真を示したりしますけどね。
 延命策ならそれにあわせた治療法をしないと、体力と資金を消耗するだけです。
 冷たく見えるかもしれませんが足元を見ればそうなるはずです。
 
 日本では土地所有に対する執着も強いので不可能に近いのですが、商店の集約で「商店街の創設」でもやらないと、客は集まらないでしょう。
 バラバラのままで、たとえ駐車場を増やしても…
 将来予想される大型店舗の撤収まで持ちこたえられるのかどうか…
 全部を記念通りに集めてもぎっしり商店が並んだ、業種の揃った町並みになるかどうか…と言うのが本当の姿でしょう。
 だって、70代などの店は移転の対象にもなら無いですからね。
 100年の計まで行かなくても、せめて10年くらいは計算しないといけませんからね。

 「大局的とか高所からの見地ではなく、明日食えるようにしてくれ!」
 と、言う声が老兵たちの口から出るわけです。
 店も客も年寄りです。
 イベントはややもするとそちらが無視されることになりがちです。
 まあ、年寄りは中々出てこないし、はしゃがないんですけどね。
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熊野市周辺地図です


by je2luz | 2010-07-14 10:50 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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