LUZの熊野古道案内

je2luz.exblog.jp
ブログトップ
2010年 07月 02日

熊野の旅 有名人も偉人も居たのだけど…

 全国各地に、その地の先人を記念した記念館や美術館などがあります。記念碑だけの人もありますけどね。
 熊野の辺りではあまりそんなのは見かけません。
 新宮の「佐藤春夫」でも今は知名度が落ちたようですしね。
 あの人も今の時代なら「谷崎潤一郎」との女のやり取りで、当時以上に話題の人になったでしょうけどねえ…
 
 少し前に話題となった、宇宙船「はやぶさ」に関連して…
 熊野市はものすごくつながりがあるのですけど、話題にもなりません。
 そもそも、小惑星に付けられた「いとかわ」は「糸川英夫博士」から来ているのです。
 この「糸川家」は熊野木本から出たものです。
 博士のおいの人もまだ存命です。
 かなり変わり者であったと言いますが、ここにも知人が多く居たようです。
 日本人初のノーベル賞をもらったのは私が子供の頃ですが、町を上げての大喜びと言う風ではなかったですね。
 祖父の口から少しだけ博士の事を聞いた記憶はあるのですけどね。
 戦争の記憶が新しい頃ですし、博士が「中島飛行機」で「一式戦闘機・隼」などの開発にかかわっていたことが地元での足を引っ張ったのでしょうか?
 ノーベル賞でもそれくらいですから、それ以降も「糸川博士」と「熊野・木本」を結びつける動きはなかったですね。
 もちろん、記念館などありません。

 私の趣味の観連ずると頃では、写真家「田本研造」が居ます。
 以前に取り上げましたが、熊野市神川町の出身で北海道に渡りロシア流写真術を習って、北海道開拓当時の貴重な写真を残した明治の「写真師」です。
 若いときに熊野を離れ、二度と帰ることがなかったようですが、送られてきた写真などは残っているようですし、彼に仕込まれて写真術を身に付けた写真屋が新宮にあり、その流れを汲む写真師が少し前まで熊野市で写真館をしていたのです。
 しかし、この「田本研三」に関しても、10年ほど前に、山に埋もれかけていた生家の屋敷を元に戻して史跡指定したのが精一杯です。
 熊野市民でこの人の名前を知っているのは何人くらい要るのでしょうね。
 忘れられた郷土の先人・偉人です。
 この廃校になった「神上中学校」の窓から見えるところに生家もあるのですし、残された写真などの複製くらい展示してあったも良さそうなのですが…
 よそからの芸術には優しくても…なのかもしれません。
d0045383_1171195.jpg


 まあ、古くは古事記に出てくる「イザナミ」や「イザナギ」と言う神々も。「熊野は有馬」の住民だった訳ですが全く利用?出来ていませんからね。
 「虎の威をかる」なんてことが嫌いなので使わないのでしょうね。
 そのように良い風に解釈しておきましょう。
 あまり書くと、これ幸いとやたらと立派な『記念館』が次々に出来そうですからね。



熊野市周辺地図です


by je2luz | 2010-07-02 11:07 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : https://je2luz.exblog.jp/tb/11448998
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]


<< 熊野の旅 大又川 鮎釣り      熊野の旅 えらいこっちゃあ 梅雨が! >>