「熊野」と言う平地も無く、およそ『都』と言う物が出来て以来は僻地扱いされてきた土地もそれなりに存在価値のあるところだったようです。
古く、「神話」の時代には「イザナギ」「イザナミ」などと言う神々がこの地に居たようです。そして「火の神」を生んだところなどと言う大切な場所にされています。
今に残されているのは「産田神社」と「花の窟神社」です。
少し時代が下って、神々から人間の歴史になった頃には、「来世」などと言うものの入り口だとか言うものまでこの辺りに求めたようです。
『救いの地』だったのでしょうね。
「蟻の熊野詣」などと言う言葉が残るほどたくさんの参詣人がお参りに来たようです。
なんだかんだ形が変わったり、流行り廃りがあったにしても1000年ほども続いたのでしょうかね?中々大したものです。
でも、この『熊野信仰』と古事記に出てくる『熊野の地』とは直接結びつきませんね。
もっと時代が下り、昭和の動乱期には「兵」は調達されても守備隊も配備されない防衛上重要では無い土地とされました。おかげで大きな戦争災害がなくて済みました。
復興期になると、日本一雨が多く、山が切り立ち川は急流と言う地形に目をつけられ、山里から人が追い出されて復興を目指す日本の発電所になりました。
これによる「人災」はいまだに…と言うより、どんどん影響が大きくなっています。
熊野人の犠牲で日本国の復興に役立てたのです。
そして、6年ほど前に『世界分化遺産』などと言う大層なものに指定されました。
指定されたものは「蟻の熊野詣」と言う昔の栄光を残そうと言うものです。
昔は『来世への思い』を抱いて『巡礼さん』が歩いたのです。
今は『現世の楽しみ』を求めて『ハイカー』が歩きます。
昔の人の瞳に映るのは、遠くにかすむ「熊野のお山」と、その咳に約束された「来世の約束」でした。
今の人の目に見えているのは一体何でしょうね?
数珠の代わりに携帯電話
お経の本の代わりにガイドブック
やっぱり見えるものは違うでしょうね。
「熊野の地」が訪れる人に与えられる物も随分変わった…いや、減ってしまったのでしょうね。
せめて、あくせく歩くのをやめて、ほっと一息ついてください。
人の世の暖かさも少しは残っていますからね。
熊野市周辺地図です