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LUZの熊野古道案内

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2005年 06月 26日

熊野古道の周辺 熊野川総合開発 3

 熊野川総合開発の完成後しばらくすると、洪水調整機能の反作用として、下流の一部の川床が上昇始めました。
 本当は上流からの土砂の流入が停まったのですから、当然下がるはずなのですが、大きな勢いのある水の出ることが減ったので溜まりやすい場所に滞ったわけです。
 折りしも、戦後の復興期から高度成長期への建設資材不足から、和歌山県は砂利採取を無制限に近い形で認可してしまいました。
 年月がたつと共に、河口からの土砂流出が減った分、この流出土砂のうちで砂利の部分が潮流で流され打ち上げられて出来ていた七里御浜の浸食が始まりました。
 建設前の調査段階での調査・・・今で言う『環境アセス』で東京農大の教授が明治の大洪水の例を引用し、『ダムを建設すれば、後年、七里御浜の砂利の減少は避けられない』と、断言していました。
 しかし、今以上に、『作るためのお墨付き』である、調査ではそうした声は無視され、消されてしまいました。その報告書はもうすぐ無くなる『鵜殿村』に保管され忘れられていました。たまたま、30年目の更新交渉に関係した時、その文書の存在を知った私が探し回り、鵜殿村に保管されていることを突き止めたのです。当たり前のことを書いたものですが、こんなものを認めては全国のダム建設は停まってしまいますから、国としては認められませんね。
 一番端的なのは、ここ七里御浜ではなく『大井川河口』でしょうね。戦後まであった道路や鎮守の森まで海の中に消えています。大井川を『水の無い川・大井川』と、銘打った番組がありました。ここは分水によって水のほとんどが他の川に流されてしまったのですから、浸食の度合いは熊野川の比ではありません。
 しかし、後年作られた突き出し方式の『鵜殿港』の建設で拍車を掛けられ、黒潮のすぐ下流に当たる『井田海岸』の浸食は恐ろしいものです。
 少し前まではきれいな砂利浜が広がり、地引網のメッカでしたが、今では砂利浜は消失し、内側の国道と集落を守るのに汲々としています。
 人間の力では熊野灘が牙をむいたときの破壊力を止めることなど出来ません。
 大井川町のようにどんどんと人間が山のほうに逃げなくてはならないようになるでしょうね。このあたりは、逃げ代がありません。何年かすると七里御浜だったはずが『東名・由比』のあたりのようになっているかもしれません。
 七里御浜の景観を心行くまで眺められるうちに、熊野三山めぐりと熊野街道・浜街道においでください。


カメラはミノルタα7700i コシナ19mm~ズーム

by je2luz | 2005-06-26 13:14 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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