LUZの熊野古道案内

je2luz.exblog.jp
ブログトップ
2005年 06月 25日

熊野古道の周辺 熊野川総合開発 2

 熊野川総合開発電源開発株式会社によって推進されました。
 目的通り、電力の確保を行うと共に、十津川水系から高野山系をぶち抜いて紀ノ川側に分水して紀ノ川の水量不足を解決すると言うような都市部の勝手な論法で進めました。北山川水系の水も一部全然あとでの水利用の無い尾鷲湾に落とされました。落差を稼ぐと言う意味からです。
 このように熊野川水系はダムによって細切れにされ、水までが他に吸い取られることになりました。『熊野川流域に降る雨は全て電源開発株式会社のものである』と言う『水利権の放棄』を要求され、全ての流域自治体や住民から奪ってゆきました。そして、契約に関し、補償が解決したのだから、『孫末代まで文句は言いません』式の言葉が書かれています。
 水利権も永久放棄ではなく『30年で契約更新』になっていました。せんそすぐから始まったダムの契約更改が当然のように昭和55年(1980)ごろから始まりました。当然のこととして、予測されなかった障害、予測されても無視した被害が山済みされていたのでこの作業は難航しました。手続き上判を押すのは『県知事』ですが『各自治体の長の同意』が必要だったからです。自治体の長となるとめくら版は押しにくいですからね。それに、国に騙されたと言う意識が強かったから尚更です。
 こうして、戦後すぐの分から難航し始めると、マスコミもまともに取り上げない形で法改正をしてしまいました。最初の30年目は変更できませんが、次からを50年に延長し、はんこを押すときには自治体の長は参考意見を述べるに過ぎなくしてしまいました。まるで交渉などの対象にはならなくしたのです。これほどひどい改訂でも『都会中心のマスコミ』はまともに報道もしませんでした。
 このようにして田舎は自然を犠牲にして電力の供給と『集団就職』などという大量人材供給をして日本の復興と人材供給に寄与したのです。
 下流の被害や上流の魚の被害をよそに、こうして出来たダム湖はよそから来た人達の目を楽しませているようです。しかし、自然に出来た湖とは違い、湖畔の無い不自然なたたずまいは人を寄せ付けません。立ったまま沈んだ木々・・・河童も住みたくないでしょうね。
 観光案内とは少し違いますが、これが熊野地方の近代の姿です。熊野だけでなく全国の山間部共通のことかもしれません。
 写真は『七色峡』というところですが、ダムにより水がこなくなり、どんよりした『水溜り』担っています。
 カメラはヤシカフレックスD


by je2luz | 2005-06-25 12:23 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : https://je2luz.exblog.jp/tb/1079455
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]


<< 熊野古道の周辺 熊野川総合開発 3      熊野古道の周辺 熊野川総合開発 1 >>