LUZの熊野古道案内

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2010年 02月 01日

熊野の旅 新鹿造船所?

 日本の造船所は各地の浜にあったものです。
 そんな昔ではなく、昭和に入っても各地の浜で船が作られていました。
 このブログにも、ここ木本町に戦前にあった造船所の写真を載せたことがあります。
 今日のは、「新鹿・あたしか」ですが、少々古いので写真は有りません。
 
 慶長二年・1597に秀吉が九鬼嘉隆に命じて新鹿で千石積の軍船100艘の建造しようとしたそうです。
 数隻出来たところで秀吉が死去して終わりになったそうです。
 新鹿は背後に八丁坂などの山を抱え、船材となる過ぎの巨木もたくさん生えていたものと思われます。
 浜もそこそこ広いから、近在の船大工をかき集めればかなりの生産力も確保できたでしょうね。
 元々、この辺は「九鬼水軍」の元になった「熊野水軍」「海賊」のふるさとですから、造船技術などは優れていたのでしょうね。
 近代造船になり、鉄船になってからは、波が静かで深い入り江の多い、そして八幡などからの便も良い瀬戸内などに造船所は移ってしまいましたが、木造船、和船の時代なら、まともな木の少ない瀬戸内よりは紀州の方が有利だったのかもしれません。
 だから、こうした軍船大量生産の一角を新鹿が担うことになったのでしょうね。
 でも、そんな歴史は学校などでは聞くこともありませんし、古すぎるので古老から聞くことも無かったです。
 我が家は新鹿の背後地の八丁坂に山林を所有していますが、そんな時代はここに居なかった家系だとか…
 聞くところによると、豊臣の残党の血を引くのだとか…

 木本にあった戦前の造船所の写真をもう一度載せておきます。
 秀吉が作らせようとした千石積の軍船も大きなものだったはずです。
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熊野市周辺地図です


by je2luz | 2010-02-01 12:53 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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