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LUZの熊野古道案内

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2010年 01月 27日

熊野の旅 十津川大洪水 本宮大社

 本宮大社は山の中腹にあり、急な階段を上って参拝します。
 会談もその周りもそれらしい雰囲気で、さも熊野三山の一つらしい雰囲気があります。
 社殿も古びていい雰囲気を保っています。
 しかし、その「本宮大社」は110年程前にはそこに無かったのです。

 明治22年9月20日(1889)に紀伊半島を襲った台風によって、十津川水系に大洪水が起きました。
 十津川から本宮に掛けて山が抜け、家は流され、そんなに人口も無いところで人家の流失360戸、死亡240人と言う大災害になりました。
 その洪水で熊野川の河原にあった「本宮大社」も流失しました。

 大体において、神社とかお寺とか旧家の屋敷とかは、災害に強い場所にあるものです。
 経験と伝承によって危険な場所は避けられてきているからです。
 だから、本宮大社も河の近くにあっても社殿がなくなるような水害にはあわない場所だったはずです。
 その本宮大社まで被害にあったのですからそれこそ何百年に一回と言う大水害だったのでしょうね。
 いまでは、元の場所には大鳥居と小さな祠しかありません。
 あの辺りにこんもりした森があり、立派な社殿もあったのでしょうね。
 たった100年ほどで引っ越したことなどすっかり忘れられてしまったようです。
 それにしても、引っ越すにしても、思い切って高台に上ってしまったものです。
 敷地を確保できるような「丘」なんて無い地形ですからああなったのかもしれませんけどね。

 その時の民家、農地などの被害が大きすぎて、再起不能と見た十津川村は住民の多くを、当時国策で募集されていた、「北海道開拓」に夢を託して村民を送り込みました。
 その移住団は600戸2489人と記録されているようです。
 そして、集団移住したところに「新十津川村」と作りました。
 その当時は「とっく原野」と呼ばれたようです。そこに出来た樺戸郡新十津川村は今では新十津川町になっています。本家は今でも「十津川村」ですから、分家の方が出世したようです。3000世帯7000人ほどらしいです。
 時は明治ですから「北海道」です。これが昭和なら、さしずめ「満蒙開拓団」として送り込まれて、行き先は「満州」になり、更なる悲劇を味あわせることになったことでしょうね。

 熊野川の堆積土砂、七里御浜の砂利のかなりの部分がこのときの災害が元になっているとさえ言われるものです。
 災害は忘れた頃にやってくるとかいいますが、「本宮大社」のように古からあるようなものがこうなるような災害は、まさに「有史以来」ってやつだったのでしょうね。
 でも、起きた事です。そして、又起きる可能性もあるわけです。
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熊野市周辺地図です


by je2luz | 2010-01-27 12:50 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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