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LUZの熊野古道案内

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2010年 01月 16日

熊野の旅 飛鳥・昔の門松

 古いネガアルバムの中で一枚、門松の写ったのを見つけました。
 昭和33年・1958年の正月らしいです。
d0045383_10434413.jpg

 場所は熊野市飛鳥町小阪、自宅、米蔵の前です。
 写っているのは親戚の子です。
 これは玄関前の庭に立てるのに比べると小さなものです。
 このように、庭に杭を打ち、「榊・さかき」を芯に「裏白しだ」「松」「ゆずり葉」などを足元に配してあります。
 これでも高さは3mはあるでしょうね。
 玄関前のは4mを越すようなものを立てる年が多かったです。
 家のじいさんはでかいのが好きでしたからね。

 そんな大きな「榊」を山から運んでくるのも大変だったでしょうね。
 今のように軽トラだとかがあるわけではないし、第一、私の家の集落には今で言うような「市道」や「農道」は入っていませんでしたから、自動車は入れなく山から家までは人間の肩で運ばれました。
 ずるずる引きずるわけにも行かないし…
 爺さんは自分で運ぶわけではなし…
 「かみなり」と呼ばれていたくらいですから、ひたすら怒るだけですからね。
 かくして毎年大きな「門飾り」を立てていました。

 ちなみに、この辺の餅は「丸餅」です。
 焼いて食べるには四角い切り餅の方が美味しいような気もしますけどね。

 昔は、ものすごく大きな「鏡餅」をお供えしたし、供える場所も多かったし…さらには、「礼回り」と言う年賀の行事があって分家筋から「鏡餅」を持って年始の挨拶に来ましたから、恐ろしい量の餅が残ります。
 電気冷蔵庫も冷凍庫も無い時代ですから、すぐに硬くなって割れてくるかカビが生えるかしたものです。
 そうなると食べられなくなりますから、保管は水に漬け込んだ『水餅』にしました。
 時々水を替えながら保管しますから、人によっては「水臭い」などといいましたが、私はカチンカチンの歯が立たないようなものより、焼いてお茶に付けて食べる時、この「水持」のように柔らかいのが好きでしたね。

 大体、ラップも無い時代ですから、暮れの28日頃についた餅は、鏡開きの頃にはパリパリ、カチンカチンでしたからね。
 そのままだと、切ると言うより斧や金槌で叩き割ると言うような状態でしたね。
 4・5日水につけてようやく何とか切れるものです。
 でも、食べ飽きるし、段々ふやけて溶け出してくるし…
 そんな時も、よくついた餅は溶けませんが、手抜きをしたつき足らない餅はどろどろになりました。
 大体、餅を見るとどこの家が「礼」に持ってきたか判ったものです。
 でも、そうした風習もどんどんなくなっているようです。
 私は分家ですが本家に「礼」に行った事が無いです。
 それに、「鏡餅」なんて作ったこともないし…おふくろが元気だった頃には持ってきて飾っていた状態でしたからね。


熊野市周辺地図です


by je2luz | 2010-01-16 11:13 | 熊野 | Trackback | Comments(2)
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Commented by グレりん at 2010-01-17 11:44 x
鏡餅のお話、私も懐かしかったので、Mixi日記の方にネタ頂きました。
家に飛鳥の小阪の門松と獅子舞の白黒写真があります。
又、今度Upします。
Commented by je2luz at 2010-01-17 20:11
グレりん さんへ
 +++
 昔のお正月は明けても暮れても「餅」と「さいれの寿司」でうんざりしました。
 私の時代だと、砂糖が貴重だったので「安倍川」なんてしませんでしたからね。
 それに、カッチンカッチンの餅では「磯部巻き」なんて出来ませんしね。
 もっぱら「お茶漬け」でしたね。
 鏡餅を砕いた「あられ」は子供の歯でもかめませんでした。


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