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LUZの熊野古道案内

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2010年 01月 07日

熊野の旅 大馬神社

 昨日は「大馬神社」のお祭りでしたが、道のことを考えたりしているうちに結局は行かずじまいでした。
 祭りのことを掛けなかったので、ちょっとだけ、違う方から「大馬神社」を取り上げてみます。

 田舎の神社では「信貴山縁起」などというようなものも作られていませんから、一般にはどんなものやらさっぱりわからないと言うのが実情です。
 お寺さんは「宗派」があり、「宗派」がわかればお経も大体わかるし、本堂を見ればご本尊様もわかることが多いです。
 しかし、「神道」はほとんどの場合神殿の扉は閉まっているし、開いていても、奥の方に「鏡」らしき物が見える程度です。
 仏像のように祀ってあるものが何かがわかることは少ないです。

 なにを祀っているのかわからないままで、お賽銭を入れ、家内安全・五穀豊穣・学業成就・交通安全・恋愛成就・世界平和…何もかもお願いしてくるわけです。
 日本の神道も多神教ですし、一時期は仏教とも大合併していたのですから、あて先が無くても「嘆願書」は担当部署に届くのでしょうけどね。

 歴史的な背景からか、日本を大きく見ると神社も偏るとか言われますね。
 鎌倉幕府の勢力の及んだところには「八幡神社」が多いとか…「氷川神社」の多いところ。「諏訪神社」の多いところ「伊勢神宮」の勢力下…などと分かれるようです。
 明治以降には、「神国日本」を表に出し、「天皇中心」を目指したので、「伊勢神宮」系の「天照大神」を祀るところがものすごく増えたやに聞きます。

 「大馬神社」の歴史を伝えるものに、神社の「棟札」があります。
 建物を建てるとき、棟上の日付や施主。棟梁などを記載して棟木に取り付けておく木札のことです。
 今式の建築だとつけていない家もあるのでしょうが、注文建築などだと、棟梁が作って取り付けることが多いです。
 我が家の屋根裏にもこれが付いている筈です。
 そして、これを見れば私が施主で棟梁は丸山大工、建てたのは昭和47年と言うこともわかります。
 棟梁によっては工事の時に使った板に書いた設計図や、物差しに使った「間棒・けんぼう」なども近くに隠してあることもあります。
 これがあると、補修の時にもやりよいからです。

 この「棟札」は神社などでは「遷宮」などで建て替えがあっても、取り外して後世まで残すことが多いのです。
 「大馬神社」の棟札で残された中では…
 文明11年・1479年が一番古いようです。
   『熊野・伊勢・八幡 当山四所権現
   天地和楽 奉造立 三所権現』 と書かれているとか…
 しかし、この棟札には
    十一面至勢  不動毘沙門 も記載されています。これは仏教系ですね。
 大工は「新宮衆」だそうです。

 次の… 慶長七年・1602年の本殿修理の物には
  『天照皇大神宮』と言うのが書かれています。
 ずいぶん、間が開いていますが、お伊勢さんが顔を出します。

 棟札より神社の始まりは古いでしょうね。
 それ以降の寄進札などでもずっと顔を出すのは「八幡さん」です。
 天明四年・1784年には、「疱瘡神社修覆募」なんてのがあるようです。天然痘の流行の時に祀ったものなのでしょうね。
 お寺さんなら、「薬師如来」あたりを祀るのでしょうけど、なんとも拝みたくない名前です。

 このように神社やお寺などには建立以来の資料が残されていることが多いらしいです。
 ピラミッドなどでも職人の落書きがあったりするようですが、建物には職人の覚書などが残っていることが多いです。
 何しろ、「墨」で書いてあるのですから、今のプリンターで印刷したもののように消えてしまうことは無いわけです。

 こんなものに関する資料は各地の図書館などで見ることが出来ると思います。
 たとえ、出版されていても、いったんなくなると再版などと言うことはありませんから、入手は困難かと思います。
 興味のある方は除かれてはいかがでしょうか?
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熊野市周辺地図です


by je2luz | 2010-01-07 12:04 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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