LUZの熊野古道案内

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2009年 11月 16日

熊野の旅 北牟婁・紀伊長島へ

 三重県北牟婁郡、今では「一郡一町」になっています。
 県などの思惑では「平成の大合併」で消滅するはずだったのですが、尾鷲市との合併がならず、紀伊長島町と海山町が合併して『紀北町』が出来ただけにとどまりました。
 
 紀伊長島は熊野の地の端っこ、伊勢の国との国境です。
 深く切れ込んだ湾の奥にあり、天然の良港と言う事で古くから漁業と海運で栄えたところです。
 今でも、紀伊勝浦、尾鷲に並んで、紀州では指折りの漁師町です。
 近代に入って、紀勢東線の建設が進んでくると、東線側の機関区・保線区の基地などが置かれ、駅の作られた「東長島」は国鉄の町としても栄えました。
 さほど大きな物でなくても、職員の官舎が立ち並んで安定した収入のある国鉄マンが町を支えていたのです。
 もともとの長島の漁師町と、「赤羽川」を挟んだ東灘島とでは町の感じが随分違った物です。

 50年前の『紀勢線全通』と「ジーゼル化」によって、紀伊長島駅の様子が様変わりしました。
 列車の編成替えは、新宮駅や亀山に移ってしまい、水の補給などのいらない「ジーゼル機関車」は長島から国鉄職員の姿を消してゆきました。
 国鉄城下町の部分が「国替え」で消えたわけです。
 「保線区の基地」も国鉄民営化、合理化で大きく縮小されていったようですしね。
 いまでも紀勢線のJR東海側の保線基地はここにある感じですけどね。
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 そして、紀伊長島の町は元もとの漁場の町が主役になりました。
 町全体が漁師町、そして、その漁師を相手の商売人の店がひしめいていたのが昔の「長島」だったのです。
 私は30年程前には随分この町にもやってきました。
 道は狭いし、人とは多いし…
 人も声は大きいし…
 賑やか極まりない町でした。
 でも、その頃でも、すでにさびれて来た言われた物です。

 国道42号線が改良され、狭い長島から出て行って、少し山のほうをバイパスして、町は静かに、そして安全になりました。
 でも、何処の町でも起こるように、お店の一部はその国道に移って行きました。
 狭い町中より広くて駐車場もあり、明るくて新しい店がぽつぽつと国道沿いに出来ました。
 そして、スーパーマーケットの時代へ…
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 この流れが生まれていても、まだまだ町中が元気だった頃に比べ、久々に訪れた「長島の街」はびっくりするほど変わっていました。
 それも、写真にある、表通り、旧国道のメインストリートが一番変わっていました。
 一種、廃墟の町的な感じで、見受けたところでは一割ほどが空き地になり、残ったお店の建物も半数以上が廃業しているようです。

 そうでしょう・・・
 30年前に働き盛りだった50歳は80歳に…若造の30歳代でも60代になっているわけですからね。
 それでも、漁場の街でお金も動く所だったからでしょう、つい近年まで、廃業せずに頑張っていたと言う証があちこちに見られる店舗跡が並んでいます。
 もっと早く、町の中心が移って行って、商店街をあきらめた木本町の本町商店街とは雰囲気が随分違います。
 熊野古道歩きに来て木本の町を歩いた人の殆んどが、「本町」が立派な商店街だったなんて気づく人は殆んど居ないでしょうからね、
 長島の商店街は、住宅街に変身する隙も無く時代に押しつぶされたようです。

 これが、長島のメインストリートの現状ですが、観光客向きには、裏通りに立派な資源が残っています。
 そちらは明日にでも紹介します。

紀北町紀伊長島周辺の地図です
 

by je2luz | 2009-11-16 10:42 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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