銀座でも新宿でも・・・全国の路地裏にはかつて、「一杯飲み屋」がたくさん在ったものです。
戦後すぐの物が無かった時代から、「小料理」「スタンド」「酒」などという見出しで、取り立てて気取った店の名前ではなく、苗字や名前のままの店も多かったのです。
「Bar」というものが増えた時代から、気の効いた店の名前が増え、ネオンが付き、路地裏が怪しげな雰囲気になったのです。
でも、そうした「Bar」も減ってしまい路地裏が段々寂れていったのです。
ここ、田舎町『木本町』にもそんな店がたくさん在ったのです。
私が子供の頃に出来、私がお酒を飲んでも良くなって東京から帰ってきた頃にはまだ残っていたようですが、その手の店に行くには若すぎたので名前だけは聞いたけど入ったことの無い店ばかりでした。
木本はきちんと碁盤の目のように道の走った古い町です。
縦横に走る道の間に「セコ」と言われる「路地」がずっと通っています。
北の端の親地町から始まって南の端の新出町まで、ずっと通っているのに、ブロックごとに少しずつ食い違っているので、探さないとこの先が無いのかと思うこともあるような道です。
その「セコ」にも何軒かの「飲み屋」があったのです。
『割烹』『料亭』は大体図体も大きくなるので表通りなり、少し広い道に面しています。
二人並んでは歩きにくい「せこ」ではそんな店はありません。
5人入れば一杯とか10人入れば満員と言う店ばかりでした。
家の近所の路地裏…近所の人しか路地の入り口すら分からない道のグキグキと二回も曲がらなくてはならないところにも「ひさご」なんて店がありましたね。
このお店、『すぎむら』もそうした店の一つです。
私より上の人たちの酒飲みの思い出話に良く出てくるところです。
場所は「紀南ツアーデザインセンター・旧奥川亭」の斜め前の「せこ」に入った所です。この道もちゃんと抜けられます。
創業50年は越すのでしょうね。
代替わりしないで、営業を続けているそうです。
親父さんは90歳を越されているのではないか…女将さんも80代…とのことです。
木本の飲み屋の歴史そのもののお店です。
ネット検索してみたら、地図にも『和風料理店』とかでプロットが打たれていました。
これだけ長くやっていると、お客さんも「じいちゃんの時から三代にわたって飲みに来た」なんてあるのでしょうね。
この店は誰にも連れて行かれなかったので入った事は無いです。
でも、子供の頃に祖父なんかの口から「すぎむら」の名前が出たのを覚えています。
それくらい歴史的価値のある「飲み屋」でもあります。
「赤提灯」をぶら下げる軒先も無い路地なんですけどね。
熊野市周辺地図です