先日の本町通り」熊野古道通りのイベントの光景です。
「囲碁・将棋教室」です。
子供に少しでも碁・将棋に親しんでもらおうと、商工会議所の玄関先に縁台を並べて、碁盤・碁石・将棋盤・将棋の駒・指導役の長老を用意していました。
と、言っても、今の子は特殊な子供以外は「はさみ将棋」すら知らなくなってしまっています。
まあ、私が子供の頃には遊び道具が殆んど無く、何処の家にもあるのは「将棋版と駒」「トランプ」くらいでしたからね。
子供専用には、「面子・けん」「ビー球」「縄跳びの縄」などがあるだけで、一人で居ても、ゲームの方が遊んでくれる物など無かったのです。
この辺りでは「碁」を打つ子供は少なかったですが、「五目並べ」くらいは誰でも出来ましたね。
落語ではないですが、縁側にいつでも将棋盤など置いてあって、通りすがりの顔なじみと将棋を指しているなんてのが結構見られたものです。
相手が居なくなると、子供をひっ捕まえて無理やりやらせたり…
物の無かった時代だと、飴玉一つで子供は相手してくれましたしね。
夜になると、たくさんの家でへぼ将棋の将棋教室が開かれていたのです。
「へぼ」が「ガキ」の教えるのですが、それでも親子の時間はあるし、家によって駒の進み方が違うなんてことも無いので、男の子の多くは、へぼでも何でも将棋はさせたものです。
ややこしい将棋「本将棋」が嫌だと、「はさみ将棋」「将棋崩し」なんてあったし、「伊勢参り・ぐるぐる回り」なんて「金」を4枚さいころ代わりに振ってすごろくのように進み、角に止まれば出世する…歩ー香車ー桂馬ー角ー飛車ー銀ー王でしたかな?
前に上級の駒が居る時は追い越せない。同じところならおんぶしてもらえる。
上級の駒に追い越されたら死んで通路の内側で誰かが通り過ぎるまで休んでいる…なんて色んなルールがありました。
最後は盤の真ん中で止まれば「伊勢参り」完了…なんてことをやっていました。
この式の遊びは「ローカルルール」だらけでしたね。
各駒に「成り」を入れると倍の時間遊べますからね。
振った金も、「表=1」「裏=5」「横立ち=10」「縦立ち=50」「逆立ち」=100なんてレートで足し算していました。
何とか立てよう・・・なんて頑張りましたが、戦後すぐ頃に出回った安物の駒はまともに将棋の駒の形をしていないのがあって立つ見込みの無いのも在りましたね。
すごろくと違い、ぐるぐる回るのですから、100が出たってあまり意味が無いのですが、珍しいのが出るだけで嬉しかったのですね。
なんだかんだで、田舎の家では「縁側」、縁側の無い町場では「縁台」がそうした子供から大人までの遊び場だったわけです。
通りすがりの人が、黙って覗き込んで自分の用事を忘れるとか…
こんな光景が全国にあったはずなんですが…
熊野市周辺地図です