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LUZの熊野古道案内

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2009年 10月 21日

熊野の旅 熊野原木市場

 林業の町「熊野市」には「原木市場」と言う物が昔はありませんでした。
 北隣には「尾鷲」という熊野よりは名前の通った材木の産地があり、南にはもっと古くて有名だった「新宮」と言う材木の集積地があったからでしょう。
 熊野にも沢山の製材所がありましたが、熊野の製材は原木を「立木」で買い取って、伐採・搬出・製材を全部自分のところでやっていたのです。
 そういうシステムだと、得意、不得意に関係なく、『杉』も『桧』も入ってきます。場合によっては『松』『樅』などと言う雑木・黒木が入ってきます。
 こうした余分な物は尾鷲や新宮の原木市場に出品すると言う形で処分したのです。
 製材業者が原木市場で買うのではなく、出品者になっていたくらいでした。

 製材した材木を都会に出荷するようになると、この混在した山からの丸太を製材し、あまりにも多種多様な製品がある出荷物は、市売りを主体とする都会の市場には合いにくくなりました。
 大量消費の都会向けには製材所の得意とする部門の丸太をそろえて、荷口も固まるようにした方が効率もよく、市場性も上がるのです。
 そこで、他の町からうんと後れて、昭和57年(1982)に『熊野原木市場』が協同組合の形で出来ました。
 残念ながら、その頃にはすでに、「林業不振」「材木価格低迷」の波が起きてきていました。
 浮き沈みは市場ですから当然あるのですが、揺れるたびに下へ下へと下がっていったのです。

 ここが出来たからと言うのではないでですが、尾鷲や新宮の原木市場がどんどん閉鎖されてゆきました。
 月に二回しか市の立たない、さほど広大な面積でもない「熊野原木」が一杯在ったほかの市場をつぶせるものではなかったのですが、新宮からも尾鷲からも『製材所』が姿を消すと言う時代に耐えられなかったのです。
 『熊野原木』は『国道42号線』と『国道169(309)号線』の合流点と言う立地から、製材業がもっと盛んで、ここから運んだ木を製材し、そちらの看板を刷り込めば高く売れる(産地偽装?)、吉野・桜井の業者が買い付けにこれたと言うことです。

 と、言っても…
 その吉野・桜井も低下の一途をたどる材木価格に耐えられず、廃業するところが増えたし、当然、買い取り価格も下がりました。
 今では、「市日」のそうした人の姿もあまり見なくなってしまいました。
 暴落した材木のせりの周りに集まっているのも、製材業者ではなく、「元製材業者」「元林業家」などの見物人が混じっています。
 『競り』のはずなのに『セリ』になっていません。
 『競り』とは上がる物と言う概念がありますが、『競り下げる』のが常識のような寂しいのが、近年の原木市場です。
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 高級品のはずの桧も昔の杉並みです。
 立方メートル(リューベ)で競っているはずなのに、聞こえてくる数字は『石(こく)』のような物です。
 植林、育林、伐採、搬出などの経費は下がっては居ません。
 山によっては、伐採・搬出の経費の方が原木価格より高くなり、木を切っても植林・育林につぎ込んだお金どころか、追い金を払わなくては清算出来ない事態が起きているのです。
 世の中、『安けりゃあ良い』の風潮が蔓延していますが、それによって、まさに『山河』すら守れず、果ては国が滅ぶことになりそうです。
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熊野市周辺地図です
 

by je2luz | 2009-10-21 12:48 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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